激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

眠れる森のビヨ

いつも通りネタバレしてます。これから配信観る人は読まない方が良いです。

 

 

 

眠れる森のビヨとかいうふざけたタイトルでこんなしんどい舞台なことある……? 

解釈は人それぞれなので語弊があるかもしれないが、雑な言い方をするとパステルカラーの末満健一。タイトルからトンチキおとぎ話を想像していたので余計に実際の世界観との落差を感じた。

 

森ビヨは簡単なあらすじだけ説明するとBEYOOOOONDSのメンバーが演劇部員になって眠れる森の美女を演じる話なので、

そうそうそうそうっ! こんな風にメタい感じからいきなり劇中劇になって二重写しになる演劇ってよくあるよねぇ~!よくある。 メタい、メタいねー!

って思ってたらそんなこと考えてられないくらいしんどい話になっていってめちゃくちゃ鬱病になった。

私はTRUMPシリーズとかメサイアプロジェクトとか生執事とか、絶望を経験した人間が更に絶望の中に沈むダークな演劇を観て大喜びするような人間なのでバッドエンドが好き、メリバはもっと好き、みたいな闇のヲタクを自認していた。

 

でも森ビヨみたいなパステルカラーのメリバは今まであんまり通ってこなかったタイプの演劇で、こういう生々しいリアルなメリバは最初からモノトーンの衣装着て暗い世界観を提示されてる演劇の数倍きついって気づいた。

でも終演後ももやもやした感情を引きずってしまうこういう作品が良い演劇っていうんだろうな、とも思った。

 

演劇女子部史上一番重いミュージカルであろうLILIUMは、最後は全員で《少女純潔》というダークな曲を歌って締められている。LILIUMは登場人物の心情、観客の心情、世界観、曲調がすべて一致したまま幕が下りるので、たとえ物語が重苦しいものであったとしても演劇としてのカタルシスが存在している。

それに対して森ビヨは明るい世界観がどんどん不穏になっていき、最後は一応前を向いて生きていこう的なラストを迎えるもののラストナンバーの曲調は仄暗く、舞台にはヒマリの座っていたベンチとヒカルの乗っていた車椅子だけが取り残され、緞帳も下りずにスーっと客電が明るくなって終わる。そのため登場人物それぞれの心情と観客の心情がどこにも振り切れないまま舞台が終わり、ずーっとモヤモヤを抱え続けることになる。

 

劇中の出来事は交通事故に遭って病院で眠り続けていたヒカルの夢の世界である。美葉ちゃん演じるヒカルとりかちゃん演じるヒロインのヒマリ以外の演劇部員は実は事故で死んでいたため、ヒカルの脳内にしか存在しない。

だからといってヒカルの生み出した夢がすべてヒカルに都合のいい楽しい夢というわけでもない。夢羽ちゃん演じるノゾミが見せる女子特有の陰険さ、こころちゃん演じるツムギの気の弱さ、そこから生じる演劇部内でのいざこざは痛いほどの青春のリアルである。ヒカルの夢も現実世界も等しく本物であることにこの物語の主題が潜んでいると言えるだろう。

 

最終的にヒカルは自らの意志で死んだ演劇部員達との夢の世界からヒマリのいる現実世界へと戻るが、演劇部内での出来事は負の感情や挫折を含めての価値ある夢であるという事実があまりにも生々しく重いので、終演後の感情の行き場が無い。

 

主人公を演じた美葉ちゃんはヒカルの葛藤や絶望を見事に表現していて、改めて美葉ちゃんの演技や声質が好きだなと思った。

今回男役を演じた4人、ヒカル役の美葉ちゃん、ツムギ役のこころちゃん、山上部長役のさやちゃん、浜田先輩役のいっちゃんはそれぞれキャラが立っていて良かった。

たぶんヒカルの夢の中の男子部員3人は、

ツムギ-自分が夢の中に生きている存在であることを自覚していて、ヒカルを留めようとする存在

山上-自分が夢の中に生きている存在であることを自覚していて、ヒカルを現実に戻してあげようとする存在

浜田-自分が夢の中に生きている存在であることに気づかず、物事の本質と反対の事(自分がかっこいいかどうか)を見ている存在

という3つの立場の象徴的存在なのではないだろうか。

ツムギが衣装や舞台装置を壊した時に山上がすべてを諦めようとしたのは、自分が生きる夢の世界には未来が無いことを悟ったからなのでは?と結末を知ってから思った。

浜田の部内のいさかいから目を背ける姿勢は、現実から逃避し夢に生きることの象徴だったのかもしれないとも思った。

 

結末を知った今、もう一度配信などで観劇すれば序盤の物語についても再発見があるだろうなとは思うが、つらいのでもう一度観る気力は無い。

BEYOOOOONDSの12人が見せてくれる夢だって永遠ではなくて、ぜんぶが価値ある有限の時間なのだと思うと、おた活も自分の人生もいろいろちゃんとしようって思いました(ぼんやりした感想)

 

ミュージカル黒執事〜寄宿学校の秘密〜

生執事、大阪のメルパルクホールとシアタードラマシティで観劇しました。

 

ゲネプロの動画とか東京で観劇した人の感想とか見て、原作以上にテニミュでは?と思ってたのですが、実際観てみると演出の豪華さや役者さんのダークな演技に魅了され、ゴシックファンタジーの世界にドボンと浸った3時間でした。

まず冒頭のセバスチャン登場シーンがすごく良かった。黒執事の原作は〇〇編ごとに割とストーリーの切れ目がはっきりしてるので、最初は寄宿学校に行くぞ〜みたいなシーンから始まるのかと思っていたのですが、シエルとセバスチャンが契約するシーンから始まったのでファンタジー世界への没入感が高まりました。

満月をバックにマントを翻しながら「私を呼ぶのは誰か」って歌う悪魔セバスチャン、歌がうまいしかっこいいし最高でした……

立石さんのセバスチャンはシエルを慈しんでいるような優しさがあり、過去のセバスチャンとは大分印象が違ったのですが、そこにかえって底知れない悪魔っぽさが宿っている気がして私はすごく好きです。

 

その後キャストが勢揃いして今作の主題歌《Perfect Black》を歌う構成はすごく盛り上がって、ミュージカル黒執事の力を見せつけられました。

全員歌上手くて綺麗だし、衣装と舞台セットも豪華で、オープニングを永遠にリピートしたいくらいでした。

(以下 配信を観ての追記 2022年3月2日)

《Perfect Black》の歌詞は劇場で聴いた時に裏社会で生きるセバスチャンとシエルの関係性の曲(コメディ色が強い今作の序盤で『黒執事』はあくまでダークファンタジーであることを強調する曲)と解釈していたのですが、結末を知ってから1番サビ直前の以下の歌詞

月欠ける夜に踊りましょう

嘘と微笑むマスカレイド

歪んだ世界を歌いましょう

哀れな犠牲を神は笑い飛ばして

に注目すると、この曲が物語の結末を暗示しており、セバスチャンとシエルよりもむしろP4(各寮の監督生であるプリーフェクトフォーの通称)と彼らが犯した罪について歌われていることに気づきました。

セバスチャンの満月を背にした登場シーンはとても印象的な演出ですが、2幕後半でP4が「だから俺達は1年前のあの日、デリックを殺した」という台詞と同時に舞台後方に映されていた三日月が新月に変わり、闇に包まれるシーンは満月が輝くセバスチャン登場シーンと対になっています。つまり「月欠ける夜に踊りましょう」とはP4が過ちを犯した夜、或いは過ちを告白した夜を指しており、「歪んだ世界」はセバスチャンとシエルが生きる英国裏社会のこととも、学校の伝統に固執するP4が生きる狭い学園内のこととも解釈できます。

"Perfect Black"=完全な闇とは新月の夜を示すものであり、この美しい旋律に今後の展開を示唆する歌詞を当てるのがミュージカルの作りとしてとても巧い構造だと思いました。

(追記おわり)

 

1幕はコミカルな要素が強くて、ソーマの登場シーンとかも賑やかで楽しかったです。Twitter上では過去作のファンに「悪い意味で2.5次元」と言われてたりもしたのでキャラクターの押し出しが強い舞台なのかなと思っていたのですが、アンサンブルの方がソーマの従者やシエルが観る悪夢の幻影みたいなのを演じているあたりは2.5次元っぽくないと思いました。

劇中ではセバスチャンが「ソーマの周りで踊ってる従者はソーマの脳内イメージ」という旨のメタい台詞を言うのですが、アンサンブルの方が特定の人物ではない概念的なものを演じているとグランドミュージカルっぽさが出る気がします。

1幕ラストの《4th of June》の曲中に好きな箇所があって、各寮が「ブルーハウスの頭脳にかけて」「レッドハウスの高貴さにかけて」みたいなパートを順に歌った後に(歌詞は曖昧です。雰囲気はこんな感じ)シエルが「我が悪しき名にかけて」って歌うところがすごく好きです。

クリケット大会が始まる前のシーンなので青春の熱気や爽やかさが出てくるシーンで、各寮のパートを聴くと観客側もすごく気持ちが盛り上がっていくんですけど、最後のシエルの一言でこの作品がダークファンタジーであることを思い出してハッとさせられます。

 

2幕は各寮が順にパフォーマンスしていく曲から始まるのですが、寮のカラーに合わせて曲調がどんどん変わっていくのが良かったです。特に紫寮の曲調は彼らの異質さが感じられ、特に配信ではなく劇場で聴くと重低音が響いてブチ上がりました。

散々テニミュテニミュ言われていた試合シーンは緑寮vs紫寮の試合が一番楽しかった。ここはテニミュっていうよりヒプステのオマージュでした。

チェスロックのダンスとラップがかっこよくて、原作で全然興味なかったチェスロックが推しになりました。福澤さんのリズムの取り方とか体幹しっかりしてます感のある動きがすごく好みです。

その後グリーンヒルが反撃するシーンはラップっていうよりただ声量で相手の鼓膜を破壊してるって感じで最高でした。田鶴さん毎回毎回信じられないくらい声がデカいのでリアルに客席が振動して面白いです。4DXの映画か?

 

未見の段階ではセバスチャン(立石さん)、グリーンヒル(田鶴さん)、アガレス副校長(高橋さん)を楽しみにしていて、最初の方はこの3人を目で追いかけながら観ていたのですが、ノーマークでドンズバに落ちてしまったのは紫寮の2人でした。

ミステリアスながらもキレのあるダンスがかっこいいのはもちろんなんですけど、テニミュでいうベンチワーク(クリケット観戦中)の2人のやり取りも可愛くて好きです。

チェスロックは一見怖い不良に見えるのですが、バイオレットの落ちた帽子を拾いに行ってあげたり、バイオレットに自分の絵を描いてもらって喜んでたり、二人の絆が色々なところから感じられて良かったです。

原作は人間の愚かさを描いた作品である以上疑似兄弟の絆が強調されることはないのですが、ミュージカル版だとかなり人同士の繋がりが強調されていたような気がします。

紫寮の2人以外でもグリーンヒルがファッグ(弟分)であるエドワードの努力を褒め称えるシーンなどが印象に残りました。

グリーンヒルは表情や言動の端々から他者を素直に尊敬できる純粋な人柄が伝わってきて、結末のことを考えるとすごくつらいです。青寮優勝後のパレードシーンで青寮の選手に花飾りのついた帽子を被せてあげる場面では穏やかな笑みを浮かべていて、田鶴さん、グリーンヒルの解釈が上手すぎる…と思いました。

田鶴さんがテニミュで演じた真田はいつも片方の口角を上げた不敵な笑い方をすることが多くて、これはご本人の癖なのかなと思っていたのですが、柔らかく笑うグリーンヒルの演技を見て田鶴さんの演じ分けなんだと気付きました。

試合開始前までのグリーンヒルは勝利に固執する厳格な人物、というかほとんど真田弦一郎では?というイメージでしたが試合後は英国紳士としての人物像がしっかり見えて、原作者もネルケのスタッフも真田へのオマージュを狙っているのにちゃんと真田ではない姿を演じられるのがプロだなと思いました。

グリーンヒルの真田っぽさに関しては前にもちょっと書きました

gekidasadance.hatenablog.com

 

強敵グリーンヒルを打ち破った主人公と仲間たちが晴れやかなパレードで健闘を称えられているシーンを見ると完全にテニミュ全国立海後編のバンザイバンザイサンキューバンザイの気分になってしまい、そろそろ各チーム楽しく歌って終わりかなと思うのですがそういえばこれ黒執事なので失踪事件の話に戻ります。怖い。

 

失踪事件の真相を語るため、P4の回想シーンが始まるのですが、P4それぞれの表情が全員違って、ここにきてP4の人間性に対する解像度がよりはっきりしました。

失踪したデリックの本性を知った時、そして学園の腐敗を知った時P4は様々な反応をするのですが、信頼していたファッグの本性を知ってしまったレドモンドは動揺して悲しみ、優等生のブルーアーは現実を受け入れられないかのように硬直し、不正を許さないグリーンヒルは副校長の態度を見た瞬間、自らの目を疑うように瞬きをするという個性が表れています。バイオレットは一番表情が読み取りづらいものの、後藤さんのバイオレットからは状況を瞬時に理解する聡さのようなものが見えて、彼のことがすごく好きになりました。

グリーンヒルが衝動的にデリックを殺害した後にデリックの脈を確かめるのは冷静な頭脳派のブルーアーではなく他人に関心のなさそうなバイオレットで、最初に凶器を手に取りグリーンヒルの罪を一緒に背負おうとするのは高貴さを重んじるレドモンドではなく情に流されなさそうなバイオレットであるということが意外でもあり、リアルでもあると感じました。

長年オタクをしていると青色の頭脳派や紫色のミステリアスキャラとは84261692回目くらいの出会いになっており、そういうキャラが出てきた瞬間にキャラの人物像が自動的に頭の中でできあがってしまう状態になります。

でも後藤さん演じるバイオレットはテンプレ的なミステリアスキャラを深掘りしたものになっていて、すごく良かったです。クリケット大会でのチェスロックとのやり取りで彼の温かみを感じていたので、余計そう思いました。

P4の感情の機微やファッグとの関係性がすごく人間らしいからこそ、(悪魔から見て)不合理で愚かな人間の姿が浮き彫りになり、セバスチャンやシエルの冷徹さも際立っているという構図は原作の漫画でも十分面白いのですが、演劇になるとより面白いです。

 

回想シーンが終わった後はセバスチャンとアガレスの戦いの迫力に魅了されました。アガレスが舞台奥からアクロバットで回転しながら手前に飛び出してくるシーンはかっこよすぎて気絶するかと思った。

アガレス役の高橋さんは新テニミュの鈴木惷役を見て注目していた役者さんなのですが、惷くんが幼い感じのキャラクターだったので高橋さんが演じる副校長は想像がつかなかったです。

ですが実際に観てみて、2.5次元ファンの方がよく言っている「原作と違うけどしっくりくる」ってこういうことかと思いました。

原作のアガレスは階段から落ちたり挙動がおかしい以外は普通の教育者っぽいおじさんという感じでしたが、舞台のアガレスは高橋さんのやわらかくて若々しいお顔立ちもあっていい意味で人間らしくなかったと思います。

儚い感じの容姿なのに人間離れした動きをしているのがいかにも蘇生された元人間っぽくて、原作と違う良さがありました。

 

アガレスや葬儀屋との戦闘も終わり、セバスチャンとシエルが屋敷に戻った後に学友との写真を燃やすラストシーンはウッ…となりました。

この舞台は基本的に冒頭の回想シーンと終盤の回想シーン以外はドタバタコメディで、観客はそのドタバタ具合をめちゃくちゃに楽しんでいたので、セバスチャンとシエルにとってこの舞台の4分の3くらいを占める出来事がなんの感傷ももたらさない出来事なんだと思うとつらいです。

そうは言ってもミュージカルだから最後は全員で歌とダンス披露して、ソーマとかマクミランの笑顔で締めてくれるんでしょーと期待していたのですが、普通に静かにバウがはじまってつらいです。いや、それが世界観的にベストな終わり方なのはわかってるんですけど。

生執事のバウ毎回かっこいいなと思ってて、千の魂~の時のキャストのお辞儀とダンスが混ざった演出が好きなのですが、今回も音楽にあわせてお辞儀した後全員で《Perfect Black》を歌って終わるのが絶妙に暗い余韻を感じられて良かったです。

そして座長の立石さんが挨拶している間ダルそうに立っているのにお辞儀するときはちゃんとポケットから手をだして姿勢よくお辞儀するチェスロックが"本物"すぎて、最後の最後まで彼の推せみメーターが上がりっぱなしでした。

 

全体を通して、キャストさんの演技、歌、ダンスのレベルも照明や舞台装置のクオリティも高くて、幸せな観劇ができました。

ゴシックな世界観を守りながらも音楽がキャッチ―で、1回聴いただけで帰り道に友達と劇中の曲を口ずさみながら帰れるくらい印象的なメロディーが多いのも良かったです。今作が「悪い意味で2.5次元」って言われてるのもわからなくもないですが、グランドミュージカルより音楽がわかりやすいのも2.5の良いところだと個人的には思っているので、口ずさめる曲は嬉しいです。

音楽を担当したYuさんはテニミュ4thシーズンの不動峰公演でも音楽を担当されるらしいので今から楽しみ。

 

テニミュは一旦シーズンがはじまったら絶対半年に1回公演があるってわかるのに生執事は次の公演がいつになるのかわからなくてつらい。

このキャストのままアイドルP4観たすぎです。どうぞよろしくお願いします。

少女文學演劇 雨の塔

気づいたら男性しか出演していない舞台、あるいは女性しか出演していない舞台ばかり観ている。

別にBLやGLが好きという理由だけでそういう舞台ばかり観ているわけではないと思うし、ナマモノが好きなわけでもない。

ただ、私は昔から「ふつうの」異性愛、つまり恋愛・結婚・出産三点セットのロマンティックラブイデオロギーを描いたハッピーな作品に興味が向かず、同性間の結びつきを扱った作品に猛烈なラブを感じるおたくだった。

同性のみで構成された舞台に清らかさを感じるのは、異性愛にある種の俗っぽさを感じてしまうドルヲタ的な発想かもしれない*1

 

高校生の頃、仄暗い感じの百合にハマった。

大学生になって少女趣味な百合から離れてしまったので今の百合文化がどうなっているのかはよくわからないが、当時の女性向け百合作品はサブカル・メンヘラカルチャーと強く結びついていたと思う。

実家の本棚には吉屋信子皆川博子嶽本野ばら桜庭一樹タカハシマコあたりの作品とか今井キラの画集とかゴスロリバイブルが大量に並んでいて、なんというか、そういう感じの文化が好きだった。私自身はメンヘラを名乗れるほど自尊心が崩壊していなかったし運動部に所属して受験勉強に励むまっとうな高校生活を送っていたが、休日はちゃんとMILKの服を着てアーバンギャルド大森靖子を嗜んでいた。

そういう感じの文化の中でも宮木あや子の小説が一番好きだった。

宮木さんといえば石原さとみ主演のドラマ「校閲ガール」の原作者として名が通っている方だが、実はお耽美でエグくて少女趣味な小説もたくさん書いている*2

成人して多少は現実世界で生きるようになってから少女趣味な百合がそこまで刺さらなくなってしまったので当時の記憶があいまいだが、ロリィタファッションや甘いお菓子に彩られた世界を描いているにもかかわらず行間に絶望や諦念が満ちていて文体も冷たい宮木さんの作品が好きだった。

 

つい最近、生執事のチケットを取るためネルケのサイトを見ていた時に『雨の塔』という文字列を発見した時はびっくりした。

 宮木さんの初期作である『雨の塔』の初版が出たのは2007年で、8年も前の作品が突然舞台化されるのは意外だったし、閉ざされた学園の中で4人の女の子が延々とくっついたりはなれたりしてる作品を舞台にするというのもあんまり想像がつかなかった。

びっくりはしたが、おたくという生き物は昔ハマった作品が唐突に新作を供給してくれる状況が大好きなのでしっかり配信を購入して千秋楽公演を観た。

 

あらすじをざっくり言うと財閥のお嬢様の三島・そのお友達の都岡・過去に女の子と心中未遂を起こした矢咲・母との確執を抱えた小津の4人が親から厄介者扱いされて全寮制の大学に軟禁され、世間から切り離された楽園の中で求めあったり嫉妬したり依存したりみたいな百合物語である。

公演は三島・都岡Ver.と⽮咲・小津Ver.の2パターンがあり、両方観劇することで物語の全容を掴めるという構成になっている。

 

ミュージカル表記ではなく「少女文學演劇」なのに振り付けや作曲のクレジットが入っていたのでこれはミュージカルなのか?と気になりながら観はじめたのだが、観終わった後でこれはミュージカルじゃなくて「少女文學演劇」だな……と思った。

要所要所で本格的な歌唱とダンスが入るのだが、いずれも観客に向けてパフォーマンスをしている印象が全くない。

そう感じたのは、鳥かごに見立てた舞台の四方を取り囲むように観客席が設置されていたせいでもある。

通常の劇場だと舞台と客席が一対一で向かい合っており、どうしても演者の意識や視線は観客へ向けられるが、今回の舞台構造だと演者の視線は常に内部へと向いている。

私の同性しか出演していない舞台への偏執は冒頭で述べたが、女の子だけの空間が外部と切り離されているようなこの舞台構造はどうしようもなく刺さった。

登場人物4人の中で感情のやりとりが完結していて、歌やダンスが感情を吐露するための手段でしかないのが原作の世界観とマッチしていてすごく好きだと思ったし、語りが自分の内面や限られた人間関係の内部に向いているという構造が、「少女文學演劇」的であると思った。なんとなくだけど「ミュージカル」という響きにはデカい声で劇場中に感情を放出するもの、というイメージがある。

『雨の塔』も「少女」も「文學」も、もっと湿っぽくて内向的な響きがある。

 

 ミュージカルではないので、声色から感情が零れていれば歌は別に上手くなくてもいい。乃木坂の松村さん演じる三島の歌は、割とすごかった。音程もすごいし、何より劇場に響かせるための発声ではない。

でも三島というキャラクターを考えると、これが大正解なのだと思う。

三島は勉強もスポーツも何もできない、ただ可愛いだけのお嬢様である。友人である都岡にピアノを弾いてとねだり、楽しげに歌う三島は、歌が苦手であることを自覚しながらもにこにこと歌う乃木坂工事中でのさゆりんと完全にダブっている*3

そして三島は松村・白石・生田のユニットによる乃木坂の楽曲、《ショパンの嘘つき》の歌詞ともダブる。本作にはピアノが重要なモチーフとして登場するのだが、矢咲との出会いによって新たな世界を知る三島が《ショパンの嘘つき》の主人公と被って、余計に三島とさゆりんが重なって見えた。

他者に聴かせるために歌おうとするのではなく、ただ純粋に音楽が好きで、狭い世界の中で歌う三島役に松村さんをキャスティングしたことが、この作品の世界観とうまく一致している。

 

三島が可愛らしい歌唱だったのに対して、⽮咲・小津Ver.の2人はミュージカル的に歌が上手い。

特に⽮咲と小津のベッドシーンに入る前、「私が必要?」と問いかける小津とそれに応える矢咲の歌唱は何度聴いても心が震えた。

似たようなことは原作の宮木さんもtumblrに書いていたのだが、矢咲の歌声は男役の声ではなくて18歳の女の子の声だと感じた。

配信を観た後で矢咲役の高月さんが「思い出のマーニー」の杏奈の声優を務めていたことを知ったのだが、言われてみれば納得できるなと思った。高月さんの声はボーイッシュな役を演じていても、少女特有の寂しさとか繊細さがこもっていると思う。

 

そして本作全体を通して私が一番惹かれたのは、小津の声だった。声優さんのように明瞭な声で、感情を押し殺したような語りが上手い。

 ビジュアルもすごく綺麗で、推せる…となったので小津役の七木さんが別の舞台に出演する機会があれば観に行くかもしれない。

終盤の小津が死へと向かう場面はとても綺麗だった。崖の上から海に飛び降りるシーンは舞台でどう表現するんだろうと思っていたが、舞台の四方を巡った後しずしずと鳥籠状の舞台の外へと出ていき、波音の効果音が鳴るという極めて静かな演出だった。

この演出が原作の冷たい文体そのままに思えて、すごい、『雨の塔』だ…と思った。演劇だけど、劇的ではない表現が原作の世界観に忠実だと感じた。

 

ちなみに文体といえば宮木さんのtumblrにはびっくりした。

宮本ではなく宮木です

矢咲という「少年のような女の子」をちゃんと女の子として、女の子を魅了して止まない女の子を完璧以上に演じてくれて(「くれて」って略)ありがとう……。あの場にいた女オタク全員矢咲の女になったわよね……。

あんなに静謐で綺麗な文を書く方がこんなオタク構文を駆使してるんですね……

原作者さんがこんなにオタクの気持ちを代弁してくれることってそうそうない。

あと、考えさせられたのがこの文章。

「ドラマ校閲ガールの原作者の宮木あや子さんです」って紹介してもらえれば「ああ!ドラマ観てました!」って会話につながるから、ありがたいんです。ただ、今回に限っては「付けてほしくないなあ」と思ってました。雰囲気が全然違うし、読者の層もきっと違う。

(中略)

あと、宣伝に「禁断の」という文字が使われてたらイヤだなあとも思っていました。今はそれほど使われてないかもしれないけど、同性愛を扱う作品って宣伝文句に「禁断の恋」的な言葉を使用されることが多かったんですよ。私は好きになる相手の男女の垣根がすごく低いタイプで、禁断とか言われても何が禁断なのかちょっとよく判らないし、自分が理解できない言葉を使われるのはイヤだなあと思ってました。で、ふたを開けてみれば、そういった、あからさまに下衆の関心をひきそうな宣伝文句も一切なかった。ああ、この舞台の制作の人は、コロナ不況で舞台業界壊滅状態の中、自社の儲けよりも原作の世界をきちんと大切にしてくれてるんだ、って涙が出るくらい嬉しかったです。

 

この舞台が綺麗なのって、軽薄な宣伝をしなかったからでもあるんだなと思った。

『雨の塔』は自分が少女時代に好きになった作品だったから、舞台化にあたって安易な商売の道具にされなかったことや大衆向けコンテンツとして消費されなかったことが嬉しい。

 

それと同時に、「下衆の関心」から切り離された百合にはある種の魔力があるとも思った。

終盤で小津が自死を選んでも、つらい気持ちより美しいと感じる気持ちが勝るのは私が少女同士の関係性を過剰に美化しているからかもしれないし、思春期の私が仄暗い百合に惹かれたのもそのせいかもしれない。

 

しばらく百合文化から離れていたが、おたくの魂は成人女性になっても退廃美に魅力を感じるんだなという気づきを得られたので良かった。

今度実家に帰ったら久しぶりに宮木さんの作品を読み直したい。

*1:あくまでオタク趣味に関する個人的な嗜好の話で、現実の異性愛や同性愛を批判する意図は全くないです

*2:作者自身、『校閲ガール』みたいな働く女性の話をB面、後者みたいなお耽美な話をA面と呼んで区別している

*3:私はドラマ「賭けグルイ」の夢見弖ユメミを演じた愛らしいさゆりんを見たときから彼女のお芝居のファンなのだが、さゆりんは何を演じていてもさゆりんにしかなれない

ハロコン春「花鳥風月」

Hello! Project 2021 春 「花鳥風月」に行ってきました。

春のハロコンって少なくとも私が現場行きはじめてからは無かった気がするのでかなり新鮮だった。夏ハロ冬ハロ、春ハロ(違和感)

 

私が観たのはチーム風。

 

石田亜佑美加賀楓・山﨑愛生 (モーニング娘。'21)
川村文乃佐々木莉佳子・橋迫鈴 (アンジュルム
稲場愛香段原瑠々(Juice=Juice)
小野田紗栞秋山眞緒つばきファクトリー
高瀬くるみ・前田こころ・平井美葉(BEYOOOOONDS)

 

出演者はこんな感じでした。

 全体的な印象としてはダンスが上手なメンバーやイケメンキャラを結集させたチームで、すごく嬉しい人選だった。

もしコンセプトを明確にしてスキルメンだけで固めてたら面白くなかったんだけど、かっこいいメンバーの中に愛生ちゃんや鈴ちゃんみたいな赤ちゃんっぽいメンバーが混ざっていたり、文乃ちゃんや紗栞ちゃんみたいな正統派アイドルな女の子が混ざっていたりしたのがハロプロっぽくていいなぁと思った。

 

前回の冬ハロでは舞台上に階段や大掛かりな照明がなく、雰囲気が発表会みたいだな……という不満を抱いていたのだが、今回はちゃんとステージが二段構成になっていて嬉しかった。

ハロプロのダンスは立体的なフォーメーションが見えた方が断然映えるし、なによりかっこいい女の子たちが階段を駆け上ったり駆け下りたりしながらパフォーマンスをしている姿が大好きなので今回のダンスメン・イケメン選抜を階段があるステージで観れて良かった。

 

セトリは激しい曲が中心で、今まで入った現場の中でも1,2を争うくらい好きな選曲だった。

一曲目は《SEXY BOY~そよ風に寄り添って~》。ハロプロのライブだなって感じの幕開けを久しぶりに観た気がする。今回のメンバーは「花鳥風月」のチーム「風」なので、それにちなんでの選曲だと思う。初っ端からすごく楽しかった。

 

前半の全員曲で良かったのは、BEYOOOOONDSの《激辛LOVE》。MVでしか観たことが無かったが、生のパフォーマンスを観ると表情が十人十色で面白かった。ダンスが上手い子は表情にも余裕があってかっこいいし、無邪気な子や女の子っぽい子は満面の笑みで踊ってたりあざといキメ顔でポーズを取っていたりする。

最初に書いた「スキルメンの中に赤ちゃんや正統派アイドルが混ざっている面白さ」を強く感じたのはこの曲だった。

 

中盤はシャッフルユニットが続く。加賀・段原・石田の《シルバーの腕時計》が特に好きだった。るるちゃんが歌唱メンに見せかけて実はダンスもめちゃくちゃ上手い子であることは認識していたが、楓ちゃんがダンスメンに見せかけて実は歌もめちゃくちゃ上手い子であるというのは今回これを聴くまでちゃんと認識できていなかった。

普段のモーニングは歌割がふくちゃんとさくらちゃんに偏っているので、シャッフルユニットが増えた去年からこの子こんなに歌上手だったんだなという気づきも増えた。

るるちゃんのエモーショナルな歌声と楓ちゃんの悲しみを押し殺したような歌声が曲にマッチしていてすごく良かったし、またこの二人のデュエットが聴きたい。

 

シャッフルでは《赤いイヤホン》も良かった。元々大好きな曲で、特に間奏に入っていったん静かになったかと思いきやバキバキにうるさい音が響いてワイヤレ…ミエナイ…ソコニア…ぶぉーんぶぉーんぶぉーんからラスサビに入る流れが死ぬほど好きなので、このかっこいい間奏~ラスサビをこのメンバーで踊ってくれたのが幸せだった。

まおぴんとまなかんを中心に追っていたが目が足りない。いつかガールズライブか何かでハロステダンス部を集めてこの曲を踊ってほしい。1億回再生します。

 

この曲の後に《KEEP ON 上昇志向!!》があって推しの文乃ちゃんとこころちゃんはこっちに参加していたのだが、私の推しはいっつも楽しそうに踊ってくれるからいつ見ても推ささる~と改めて思った。

前向きな気持ちが振り付けに乗っているというか、ちゃんと歌詞の意味を考えながら踊っているんだなっていうのが伝わってくる。

 

セトリの最後はベキマスの《負けるな わっしょい!》だった。

この曲は私の人生で初めてのハロプロ現場(厳密には娘。のリリイベが初現場だけど歌は聴いてないので除外)である冬ハロ2016の一曲目だったので、私が人生で初めて生で聴いたハロ曲ということになる。

 初めて聴いた時はなんだこのアホみたいに楽しい曲、アホすぎわろたと思ったが、今だに曲調も歌詞も振り付けもアホすぎて笑ってしまう。大好きな思い出の曲を5年ぶりに聴けて嬉しかった。

正直、今まで17曲続いたキレキレのダンスよりラストのトンチキダンスの方が観ていて心が躍ったかもしれない。

ダンスが上手くて最強な女の子たちを集結させたコンサートの締めが変なおじさんダンスなの本当に意味が分からなくて、ハロプロは最高だなと思った。

 こんなに晴れ晴れとした明るい気持ちで終わった現場久しぶりでした。

楽しかったー!

新テニミュThe First Stage 東京凱旋公演

テニミュ東京凱旋公演に行ってきた。新テニミュThe First Stageを観劇するのは大阪公演含めて3回目。全体の感想は既に書いたので、凱旋で見え方変わったなってところだけメモ程度に書きます。

前回のはこれ。

gekidasadance.hatenablog.com

 

●歌が聴きやすい

席位置の関係とか初見と3回目の違いもあると思うが、日本青年館の音響はメルパルクホールに比べて聴きやすかった。メルパの音響は立体的で臨場感があったけど響きすぎて歌詞があんまり聞き取れない。それに対して青年館は臨場感に欠けるけど音質が綺麗で安定している。

人生初テニミュでメルパ3列目のスピーカー近くに座った時は三船の声がデカすぎてこの世界はもうおしまいだと思ったし氷帝コールも遥か彼方から聞こえてきたのだが、今回の青年館1階席センブロ後ろ寄りは音が響きすぎることもなく、歌の迫力に圧倒されっぱなしだった大阪での2公演の時よりも歌詞に注目できた。

テニミュはそんなに変な歌詞はないかなという印象があるが(少なくともラララゲイゲイゲイやドンドンドドンドンアーアーアアーアーみたいな様子のおかしさは見受けられない)、白石のオサムちゃんごめんねソングはやっぱり歌詞が妙にシリアスで笑ってしまう。

引っかかったのが、リョーマに対して「ほんとに態度がデカいね」って歌う徳川と試合中に「喜びのデカさ」って歌う手塚。徳川と手塚ってキャラ的に絶対「デカい」とか言わないはずで、でもそういう若者言葉の口語ってテニミュらしい要素でもあると思う。例えば《誰にも見えない糸》の「マジ半端ない2人の連携プレー」とか、え!?歌詞なのにマジ半端ないの!?っていう引っ掛かりがある。でもそこにキャラの中高生っぽい人間味を感じることもあって、徳川相当カチンときてるんだなとか、手塚相当テニスが愛おしいんだなっていうのが伝わってくる。私はその引っ掛かりが割と好きだ。

 

跡部vs入江戦

東京・大阪公演と東京凱旋公演最大の違いといえば、入江役が泰江さんから相葉さんに引き継がれたことだ。

私は華奢で捉えどころのない入江が好きなので個人的な好みとしては泰江さんに軍配が上がるのだが、相葉さんの迫力がある入江も素敵だったし歌唱力にも感動した。

大阪公演のS1は跡部を翻弄する入江とそれに立ち向かう跡部の心理戦という印象が強く、凱旋公演のS1は超強い人vs超強い人のガチバトルの印象が強かった。結局どっちも最高のS1だった。

大阪に比べて凱旋で圧が増していたのは、入江役の変更だけでなくて跡部役の高橋さんの進化の影響も大きいと思う。

高橋さんは大阪の時は動きが開放的でいいなーという感想が大きかったのだが、凱旋の高橋さんは声の張り方、伸ばし方もすごく堂々とした綺麗なものに仕上がっていたと思う。テニミュのオタクがよく言ってる「キャストの変化が楽しい」ってこういうことかーと納得した(前述したスピーカーとか音響の問題かとも思ったが他のオタクも高橋さん成長してるみたいな感想を書いてる人が多かったので錯覚ではないと思う)。

そしてやっぱり高橋さんの動き方は開放的で観ていて気持ち良かった。

3rdの三浦さんが演じた気品溢れるバレエダンサー跡部が大好きだったので、次の跡部もバレエダンサーじゃないと絶対に嫌だとまで思っていたのだが、高橋さんの演技を観たらむしろ入江と戦う跡部がバレエダンサーじゃなくて良かったと思えた。

地面に這いつくばりながらも格上の相手に果敢に挑む跡部様は多少優雅じゃなくても、泥臭いくらいでも良い。どこを切り取ってもバレエ的に美しかった三浦さんを見慣れていると、後ろ足を乱暴に蹴り上げて高く飛び跳ねる高橋さんの跡部が新鮮に感じる。

手塚やリョーマの前に立ちはだかる優美な跡部を三浦さんが演じてくれて良かったし、高みに上り詰めるまでの泥臭くも若々しい跡部を高橋さんが演じてくれて良かった。入江も跡部もみんな違ってみんな良い。

 

●鈴木惷くんの謎

今回出てるキャラクターで推しが誰って言われると微妙で、テニミュボーイズの方が演じているキャラを含めたら柳さんと日吉が推しなのだがキャラクター紹介ページに載っているキャラクターに絞ると赤也と徳川さんかなーとぼんやり思っていた。

しかし公演前ノーマークだったにもかかわらずすごく気になってしまったキャラがいる。高校選抜の鈴木惷くんである。大阪公演の時点で気になりはじめていたのだが、今回は惷くんがベンチにいるときも双眼鏡で覗き、精力的に惷くんのオタ活に勤しんだ。

1幕では仲間の活躍を見ながら頭の上で拍手したり、ゆるくて可愛いベンチワークを見せてくれたので休憩中に一緒に来ていた友人に「しゅんくんかわいいから観て!」とLINEを送ったのだが(時勢的に休憩中も私語厳禁)、「しゅんくんって何役の人?」と返ってきた。惷くん、存在すら認知されてませんでした。それもそのはず、惷くんは原作で殆ど出番が無いので、旧テニ古参おたくで新テニはさらっとしか読んでいない友人に認知されていなくても仕方ないのである。私も新ミュを観るまでは鈴木惷の名前を出されてもどんなプレイヤーなのか思い出せなかった。よく考えてみたら、惷くん役の高橋駿一さんが何を根拠にベンチワークをしているのかはかなり謎だ。原作での描写がないのに、どう役を解釈したのかはとても気になる。

鈴木・鷲尾ペアほど内面が掘り下げられていないキャラの試合がテニミュで演じられることは今までなかったんじゃないだろうか。しばらく前に原作で「今の要領でもう一度打ってごらん」しか喋っていない玉川よしおに人気声優が当てられたことが話題になったが、惷くんも原作では「お前ら中学生もやるたい!!」「お前ら良かテニスしとっと」しか喋っていない。これではキャラの作りようがないのである。強いて言えば、原作で千歳の神隠しを受けた時に「おっとと……」という心の声を発しているのでそこからテニミュのゆるいキャラがつくられたのかもしれない。

だが私は劇場で惷くんを観るたびに愛おしさが湧いてたまらなくなった。惷くんは原作通りほとんど喋らないしもちろんソロ曲や派手な見せ場もないが、ずっと眺めているとどんどん好きになってしまう。

普段の表情や仕草はゆるくて優しげだが、D1でのアクロバットやシンクロ時のダンスをさらりとこなす姿はかっこいいし(さっきの友達も終演後客電が付いた瞬間に「しゅんくんすごすぎて沸いた」とLINEしてくれた)、勝った後は勝者の余裕をたたえた鋭い目つきで九州二翼を見やりながらベンチに帰っていく。かと思えば補欠戦で3番コートが負けそうになった時にはダメだこりゃーといった感じで階段の上にびろーんと伸びてしまう。

でも、これが本当の鈴木惷なのかはよくわからないのである。原作の描写がほとんど無い以上、私が好きになったのは惷くんじゃなくて高橋さんの自由な解釈と高い身体能力が作り出した惷くんの虚像なのでは?という疑いは晴れない。原作で惷くんのオタクをしようにも、桃の缶詰が好き(すげえ可愛いファンブック情報)ということくらいしか燃料が無いのだ。

原作で今後活躍するようなキャラでもないし、この後のテニミュにも登場しないだろうし、惷くんへのラブは謎のまま終わるのだろうか。

原作でほとんど活躍が描かれなかった山吹のニトキタがテニミュ3rdシーズンで突如人気を集めた先例があるので、きっと惷くんも新テニミュが周回する数十年後くらいには日替わりやドリライでのお芝居が蓄積されてキャラの解像度が上がり、人気キャラになっていると期待している。

 

●観るたびにシュールギャグが面白くなる

 同じ公演を何回か観ているとだんだんリラックスして観劇できるようになってくるので、笑いどころが増える。初見だと日替わりなどのここで笑ってくださいねという箇所しか笑えなかったのだが、3回目になると真剣試合の最中の「桃城の手首を一撃で粉砕」、「187-187」みたいな滅茶苦茶な台詞が面白くてしょうがない。

一見ただのギャグマンガ、でも実は熱いスポーツ漫画、でもやっぱりシュールで面白い、でもかっこいい、という感情を無限に行き来しているうちにテニプリが無限に好きになるので、観劇のたびにテニプリっていいなというシンプルな結論に至る。

 

次のテニミュはたぶん不動峰公演。まだまともなテニスをしている時期だが、熱い試合が楽しみだ。

人生で初めて宝塚歌劇を観てきた

大学入学と同時に関西に引っ越してきてから、宝塚歌劇の存在は常に視界に入っていた。

関西人なら宝塚に興味が無くとも、宝塚大劇場でこれから始まる公演のタイトルはなんとなくわかるんじゃないだろうか。それくらい関西人の足である阪急電鉄の駅構内や車内は宝塚のきらびやかな広告で溢れている。

いつかは観たいと思い続けて4年以上きっかけを掴みそこねていたのは、宝塚という秘密の花園が怖かったからである。

阪急電車にお辞儀する生徒、お揃いの服で出待ちするファン、数々の「すみれコード」、宝塚歌劇は舞台自体と同じくらいその独自の世界の恐ろしさのようなものが注目を浴びてきた。少なくとも、私のような外部の視線からはそう見えた。

だが(詳細は話が脱線するので省くが)色々なきっかけがあって、私は今回の公演のチケットを手にした。

1月末の昼下がり、阪急宝塚駅から宝塚大劇場に至る「はなの道」を歩くと、それだけでなぜか浮ついた気分になった。周囲の建物もメルヘンチックで、なんとなく雰囲気が舞浜に近い。劇場に着くと中にはお土産物屋さんやらレストランやら写真スタジオまであって、劇場というよりほとんどテーマパークだった。

やっぱり宝塚は怖い。もちろん批判的に言っているのではなく、作り込まれた世界観に対する称賛としての「怖い」である。

 

私が今回観たのは雪組の公演で、前半がベートーヴェンの生きた時代を描いたミュージカルである『f f f -フォルティッシッシモ-』、後半がシルクロードを舞台にしたレビューである『シルクロード~盗賊と宝石~』と二本立ての構成になっていた。

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前半に観たのがミュージカルの『f f f -フォルティッシッシモ-』。私が普段観ている舞台は総合芸術としての魅力よりキャスト単体の魅力で勝負しがちなアイドルや若手俳優の舞台が中心なので、大掛かりな舞台装置で大人数が動く宝塚歌劇の迫力には驚かされた。メリーゴーランドの様に回転する床の上で繰り広げられる戦争シーンは臨場感がすごかったし、凝ったデザインの衣装を纏った大勢のタカラジェンヌ達はただそこにいるだけで舞台が華やいだ。

生の舞台を観ているはずなのに「うわー!ミュージカル映画だー!!」と思ってしまう。それくらい華やかなタカラジェンヌ達の集団の力や舞台のスケールの大きさ、低俗な言い方をすれば「金かかってる感」に圧倒されたのだ。

宝塚と言えばトップスターと呼ばれるカリスマ性を備えたお方が舞台をリードしている、という印象があったのだが(もちろん雪組トップコンビお二人の歌唱力と存在感は特別だった)、名前がある役に付いていないタカラジェンヌ達もとても魅力的だった。

一番感動したのは、兵士達の動きに音楽的インスピレーションを受けたベートーヴェンの構想が兵士と女性の姿を取って舞台上に現れるシーンである。

ナポレオン軍がロシアで敗戦し、兵士たちの屍に囲まれたナポレオンとベートーヴェンが語り合う場面の後、ベートーヴェンの脳内に響く音楽の視覚的メタファーとして四人一組となった兵士達とドレス姿の女性達が舞台上に現れ、楽譜上の音符の様に規則正しく隊列を組みながら踊り始める。

このシーンではベートーヴェンの構想が視覚イメージに変換されて観客へ伝えられる。視覚と聴覚の境目が曖昧になってひとつの大きな波となるシーンを目の前にすると、やっぱりミュージカルが好きだと思う。

実はベートーヴェンの作曲描写は終盤まで出し惜しみされており、だからこそラストシーンのカタルシスが大きい。最初にあらすじを見た時にはベートーヴェンの人生を描く物語、もっと言えばミューズの支えを得ることによって難聴という試練を乗り越える感動秘話的なものを勝手に想像していたのだが、実際はだいぶ印象が違った。

ベートーヴェンは割と序盤であっさり耳が聴こえなくなり、以降は作曲の苦しみよりもむしろ幼少期のトラウマや恋愛のトラウマが掘り下げられ、ベートーヴェンの人生は文化人や王侯貴族らの人生と絡み合っていく。

ベートーヴェンが主人公の話という先入観を持って観劇しているので、途中まではなぜベートーヴェンの作曲上の苦悩から革命やナポレオン戦争で死んだ民衆や兵士の苦しみへと物語が飛び飛びになるのかがわからない。

だがクライマックスで死の間際にいるベートーヴェン「第九」という曲を完成させ、不幸の象徴たる「謎の女」が歓喜の歌の輪に加わった時に、今までのすべてのシーンがこの一曲に繋がっていたことがわかる。

ベートーヴェン一人の人生が第九という曲を生むのではなく、この時代を生きた多くの人々の人生がベートーヴェンの音楽に収斂する構成が、第九という曲の壮大さにふさわしいダイナミックな物語を生んでいるのである。

ベートーヴェンがどうこうという話を越え、音楽や芸術の喜びという根源的なテーマを壮大な演出で表現したラストシーンでは理屈抜きに心を揺さぶられた。

 

『f f f -フォルティッシッシモ-』が終わった後は、休憩を挟んで筋書きのないショーである『シルクロード~盗賊と宝石~』が上演される。

開演前の舞台は撮っても大丈夫っぽかったので記念に。

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 席は2階前方の端っこだったのだが、傾斜がきつめの劇場だったので観やすかった。

ショーは万人がイメージする宝塚歌劇の世界そのものという感じで、高く脚を上げて踊るラインダンス、大きな羽を背負って大階段を下りてくるスター、テープカットの花ついたリボンを一人分の長さにしましたみたいなアレ(アレの名前なに?)、といった「テレビでみたことある、THE・宝塚な要素」をぜーんぶ観ることができる。

 

 タキシードを着た男役の皆さんはとてもハンサムで感動したが、実は私が一番かっこいいと感じたのは雪組トップ娘役の真彩希帆さんだった。

本当に予備知識のないまま観たので、私が公演中かっこいいと思っていた娘役さんたちがみんな衣装替えした真彩希帆さんだったことも、真彩希帆さんが今回の公演をもって退団してしまうのも家に帰ってから知った。

シルクロード~盗賊と宝石~』と題されたショーには明確なストーリーがあるわけではないが、衣装や楽曲のモチーフはアラビア、インド、中国とまさにシルクロードを旅するように移り変わっていく。

真彩さんのかっこよさに気づいたのは、上海を舞台にして《Lone Digger》を歌うシーン。この曲は唯一原曲を知っていたので、宝塚のショーって聴きなれた曲を使うこともあるんだなと少し驚いた。この曲のサビではラップのように猛スピードで歌詞を捲し立てているにもかかわらず真彩さんの佇まいには威厳があって、とにかく最強だった。

その後真彩さんはステージ上のお立ち台のようなところから降りてきて、男役さん二人と一緒にタンゴを踊る。その姿も男役のお二人に負けず劣らず堂々としていた。《Lone Digger》ですでにかっこよさの最高到達点にいたのに更にそれを超えてくる真彩さんに心を奪われた。

ショーのフィナーレでは主要キャストが順番にメインテーマをソロで歌いながら大階段を降りてくるのだが、真彩さんが「お前と共に行こう~」と歌うシーンでまたしても心臓を撃ち抜かれる。

花のように可憐な宝塚の乙女の皆さんは常に一人称が「わたくし」で二人称が「あなた」、三人称が「あのお方」なんだろうなという勝手なイメージがあったので、真彩さんがとんでもない声量で「お前と共に行こう~」って歌った瞬間これは反則だろうと思ったし、娘役のトップに立つ者としての威厳、品格を感じさせるソロ歌唱は本当にかっこよかった(人間の脳は感動を抑えながら記憶に焼き付けようとしたことほど逆に記憶に残せないらしいのでこの辺はいろいろ間違った記憶かもしれない)。

 

そして例のデカい羽は公演の千秋楽とかスターの退団みたいな特別な日に登場するものだと思っていたが(アイドルで言う卒コンドレスみたいなものと認識していた)、トップコンビと二番手男役の方は今回のようななんでもない日にも毎回羽を背負ってくれるらしい。

ド派手な羽を背負ったタカラジェンヌの皆さんが順番に大階段から下りてくる光景は完全に「祝祭」で、こんな景気良い演出毎日やるもんじゃないだろと思ったがそれを毎回見せてくれるから宝塚は宝塚なんだろうと思った。

宝塚大劇場という神殿では毎日新たな国が建国され、新年を迎え、神々が降臨している。エブリデイ祝祭だ。この神殿では非日常こそが日常なのである。

 

宝塚の舞台はテレビで一回だけ観たことがあって(2019年星組公演の「GOD OF STARS-食聖-」)、その時はまだストーリーの面白さやスターコンビの歌や美貌にばかり惹きつけられていた。

しかし今回初めて生の宝塚を観ると、お上品なはなの道やきらびやかな劇場ロビー、そしてめまぐるしく移り変わる舞台装置に至るまで、スターを取り巻くすべての環境が宝塚という夢の世界を形成しているのだと実感した。

宝塚にハマるというのは、舞台が好きという次元では済まないことで、きっと宝塚駅の改札を出た瞬間そこがもう「沼」なのである。

こんな恐ろしいものにハマってはいけないと思いつつ、あの日以来阪急の駅や車内では次回公演である『ロミオとジュリエット』のポスターが私を沼に突き落とそうとしている。

ハロコン2021冬~STEP BY STEP~

ハロコン大阪に行ってきました。

私が観に行ったのは1月23日大阪昼公演(ユニット③,⑤)と24日大阪昼公演(ユニット③,⑥)の回。

 

メンバーをメモしておくと以下の通り。

【ユニット③】

モーニング娘。'21  石田亜佑美野中美希牧野真莉愛森戸知沙希・北川莉央
つばきファクトリー  山岸理子浅倉樹々小野瑞歩秋山眞緒

【ユニット⑤】

アンジュルム  川村文乃上國料萌衣笠原桃奈・橋迫鈴・為永幸音
Juice=Juice 高木紗友希稲場愛香井上玲音・松永里愛
【ユニット⑥】

Juice=Juice  金澤朋子植村あかり段原瑠々・工藤由愛
BEYOOOOONDS  平井美葉・前田こころ・山﨑夢羽・清野桃々姫

 

●23日昼公演

この日は文乃ちゃん目当てで現場に赴いたら今まであまり注目していなかった秋山眞緒ちゃんが気になってしかたなくなった。

つばきの曲はおとなしく乙女チックなイメージで、MVも清楚にまとまっている印象だったが、実際に生でパフォーマンスを観ると想像の100倍ダンスが激しかった。

《意識高い乙女のジレンマ》も《三回目のデート神話》も、可愛い乙女心を歌った歌詞と髪を振り乱して踊るまおぴんのギャップがかなり予想外で、曲をイヤホンで聴いて満足していた今までがもったいなかったと思わされた。

 

アンジュルムは今回人数を半分に減らした5人でのパフォーマンスで、不安なような楽しみなような感じだったのだが、人数が減って普段と違う歌割の歌唱を聴くことができるのは新鮮で良かった。

文乃ちゃんは技巧的に満遍なく歌が上手いというよりは感情の機微を声にのせるのが上手いタイプの歌手なので、一曲丸ごとソロで聴くよりもワンフレーズのソロを聴く方が輝きがわかりやすい。

例えば文乃ちゃんのソロパートで評価が高いものと言えば《Uraha=Lover》の「照れながら君がくれた 記念日の手紙のこと」が思い浮かぶが、これも他のメンバーの歌声の中に文乃ちゃんの歌声が入っているからこそ彼女の声質が目立ち、おたくの急所に当たったのだと思う。

今回、変則的な歌割での《私を創るのは私》、《ミラー・ミラー》を聴くと文乃ちゃんの新しいソロパートにハッとさせられることが多々あった。

文乃ちゃんの丁寧な歌声が誰よりも好きだ。

 

この日は24日のBEYOOOOONDSが出演する回に比べると、おとなしめのセトリという印象があった。

ブログに書くべきことでもないかもしれないが、私は今のバラードブームの中でアンジュルム曲の《ナミダイロノケツイ》を聴くと微妙な気持ちになる。

3期メンバーの相川茉穂ちゃんがパニック障害によってグループを一時離脱した際にリリースされたこの曲は、茉穂ちゃんに会えなくても残されたメンバーでグループを守っていくというメッセージが込められた楽曲である。

私はリリース当時からメンバーの病気をネタにお涙頂戴曲を歌われることに抵抗があった。正直な話、離脱したメンバーにプレッシャーを掛けるような演出はエンタメとしてやってはいけないと思う。

茉穂ちゃんは最終的にアンジュルムへの復帰が叶わないまま卒業を迎えたが、結果ハロプロは《ナミダイロノケツイ》という曲を持て余すことになった。待つべき人がいなくなったからである。

ナミケツはむろたんと莉佳子ちゃんの3期FCイベントなど特殊な場面を除きアンジュルム内で歌われることはなくなったが、昨今のバラード時代の訪れとともにナミケツは「茉穂ちゃんの不在を乗り越え、アンジュルムという場を守る歌」から「コロナ時代を乗り越え、ライブという場を守る歌」へと読み替えられ、アンジュルム以外のグループが歌い得る曲としてリバイバルされた。

この曲を歌っているメンバーは何も悪くないのだが、未だにナミケツをどういう気持ちで聴けばいいのかわからない。お願いだから封印してくれ。

 

●24日昼公演

研修生ユニットがまさかのスマイレージ楽曲《スキちゃん》を歌ってくれた。研修生のOAで先輩グループの曲を披露しているのを聴くのははじめてな気がするし、嬉しい驚きだった。

研修生ユニットで一番目を奪われたのは石栗奏美ちゃん。前々から気になっていたのだが、長い手足を活かして表情豊かにパフォーマンスしてくれるので観ていて気持ちがいい。長身イケメンキャラだと思っていたら「ペット売り場で犬を見てたら」の箇所では頭の上で手をぴょこんとジェスチャーしていたり、研修生っぽいあどけない一面を垣間見た。

 

BEYOOOOONDSはやっぱり楽しかった。序盤の《そこらの奴とは同じにされたくない》の美葉ちゃんのダンスは必見。

雨川の曲なので美葉ちゃんは普段参加していないが、今回は大暴れの美葉ちゃんが曲の世界観を盛り上げてくれている。美葉ちゃんはガラ悪めのダンスもコンテンポラリーバレエに近いしなやかなダンスも両方踊れるのが今までのハロプロにいなかったタイプで、本人の内気なイケメンキャラにもよくマッチしていると思う。

 

《文化祭実行委員長の恋》はこころちゃん、桃々姫ちゃん、夢羽ちゃん、美葉ちゃんの4人で演じる変則的な構成だったのだが、ソーシャルディスタンス確保と控えめな演出のおかげで面白いことになっていた。

こころちゃんの衣装替えがカットされ(それどころか小道具の眼鏡さえない)、こころちゃんが桃々姫ちゃんのおでこを抑えるシーンは感染予防のため虚空を押し留める振り付けに変えられ、ラストの手つなぎシーンも距離が確保されたエア手つなぎに変えられ、ある意味レアな感じになっていた。

そんな演出でもいつも通りのドタバタ感はしっかり残っていたので、いつのまにか双眼鏡を離してサイリウムを振りまくっていた。

 

 この日一番楽しみにしていたのは瑠々ちゃんと夢羽ちゃんが歌う《悲しきヘブン》。

2ヵ月前、折角チケット取ってハロ曲歌ってくれなかったら嫌だなあ、ハロプロのコンサート観に行って瑛人の香水聴かされてもなあ……と思いつつ恐る恐るFC先行で文乃ちゃんが出演する回だけ申し込んでみたのだが、いざツアーがはじまるとゆったりとしたハロ曲を歌ってくれるどころかユニット⑥のセトリに超高難度の歌唱とダンスでおなじみの《悲しきヘブン》が入っていることが発覚し、慌てて24日昼公演の一般チケも取った。

ちょうどYouTubeで瑠々ちゃんとふなっきがアカペラで歌った悲ヘブのかっこよさに惹かれて年末の楽曲大賞に投票したばかりだったので、このセトリには運命も感じた。

悲ヘブは私がハロプロを好きになったきっかけの曲で、アイドルってこんなにかっこいいんだって気付かせてくれた曲でもある。

ハロプロには暗黙の了解的に歌が上手い子だけがパフォーマンスを許される曲が存在していて、それは悲ヘブやガタメキラであったり、今回のMCで「歌もダンスも上手い人が歌っているイメージがある」と言及されたシンデレラコンプレックスであったりするのだが、過去曲のカバーが多いハロコンでは各グループの精鋭がそうした難易度の高い曲を歌いこなす姿を見ることができ、スキル厨としては非常に嬉しい。

瑠々ちゃんと夢羽ちゃんの力強い歌声はもちろん、こころちゃん、美葉ちゃん、由愛ちゃんの踊ったダンスパートもかっこよかった。

こころちゃんと美葉ちゃんはかなともを含めた3人での《シングルベッド》が終わって袖に捌けたかと思ったらすぐ舞台に戻って悲ヘブを踊ってくれて、イケメンの過剰供給というか、心臓がもたなかった。

 

《シングルベッド》は三者三様のイケメンっぷり、不適切な言い方をすれば「スーパー攻め様ぶり」だった。「シングルベッドで夢とおまえ抱いてた頃」なんて本物の男でもなかなか歌いこなせない歌詞をモノにしてしまう女の子はすごい。

かなともは舞台で男役を務めるびよの二人に比べると女性的で、物憂げなイメージ。

美葉ちゃんは所々で髪をかき上げていたり、少しキザに狙った仕草も見せてくれて、シャイだった美葉ちゃんが段々自分のイケメンっぷりを自覚しているのを感じた。その絶妙なバランスが可愛い。

こころちゃんは今回のMCで《シングルベッド》を歌う前には舞台袖で胸を張り、脚を肩幅に開いて男役になりきってから舞台に上がると話してくれた。立ち振る舞いは勿論、ハスキーボイスの表現力も増していて、こんなん女ヲタ全員堕ちるじゃんと思った。

 

最初は大階段やモニターがない舞台は殺風景な気もしていましたが、おとなしく双眼鏡で野鳥の会をするのもなかなか楽しかったです。

文乃ちゃん、こころちゃんという推しに会えて良かった。

春ツアーもどんな形であれやってほしいと思います。