激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

眠れる森のビヨ

いつも通りネタバレしてます。これから配信観る人は読まない方が良いです。

 

 

 

眠れる森のビヨとかいうふざけたタイトルでこんなしんどい舞台なことある……? 

解釈は人それぞれなので語弊があるかもしれないが、雑な言い方をするとパステルカラーの末満健一。タイトルからトンチキおとぎ話を想像していたので余計に実際の世界観との落差を感じた。

 

森ビヨは簡単なあらすじだけ説明するとBEYOOOOONDSのメンバーが演劇部員になって眠れる森の美女を演じる話なので、

そうそうそうそうっ! こんな風にメタい感じからいきなり劇中劇になって二重写しになる演劇ってよくあるよねぇ~!よくある。 メタい、メタいねー!

って思ってたらそんなこと考えてられないくらいしんどい話になっていってめちゃくちゃ鬱病になった。

私はTRUMPシリーズとかメサイアプロジェクトとか生執事とか、絶望を経験した人間が更に絶望の中に沈むダークな演劇を観て大喜びするような人間なのでバッドエンドが好き、メリバはもっと好き、みたいな闇のヲタクを自認していた。

 

でも森ビヨみたいなパステルカラーのメリバは今まであんまり通ってこなかったタイプの演劇で、こういう生々しいリアルなメリバは最初からモノトーンの衣装着て暗い世界観を提示されてる演劇の数倍きついって気づいた。

でも終演後ももやもやした感情を引きずってしまうこういう作品が良い演劇っていうんだろうな、とも思った。

 

演劇女子部史上一番重いミュージカルであろうLILIUMは、最後は全員で《少女純潔》というダークな曲を歌って締められている。LILIUMは登場人物の心情、観客の心情、世界観、曲調がすべて一致したまま幕が下りるので、たとえ物語が重苦しいものであったとしても演劇としてのカタルシスが存在している。

それに対して森ビヨは明るい世界観がどんどん不穏になっていき、最後は一応前を向いて生きていこう的なラストを迎えるもののラストナンバーの曲調は仄暗く、舞台にはヒマリの座っていたベンチとヒカルの乗っていた車椅子だけが取り残され、緞帳も下りずにスーっと客電が明るくなって終わる。そのため登場人物それぞれの心情と観客の心情がどこにも振り切れないまま舞台が終わり、ずーっとモヤモヤを抱え続けることになる。

 

劇中の出来事は交通事故に遭って病院で眠り続けていたヒカルの夢の世界である。美葉ちゃん演じるヒカルとりかちゃん演じるヒロインのヒマリ以外の演劇部員は実は事故で死んでいたため、ヒカルの脳内にしか存在しない。

だからといってヒカルの生み出した夢がすべてヒカルに都合のいい楽しい夢というわけでもない。夢羽ちゃん演じるノゾミが見せる女子特有の陰険さ、こころちゃん演じるツムギの気の弱さ、そこから生じる演劇部内でのいざこざは痛いほどの青春のリアルである。ヒカルの夢も現実世界も等しく本物であることにこの物語の主題が潜んでいると言えるだろう。

 

最終的にヒカルは自らの意志で死んだ演劇部員達との夢の世界からヒマリのいる現実世界へと戻るが、演劇部内での出来事は負の感情や挫折を含めての価値ある夢であるという事実があまりにも生々しく重いので、終演後の感情の行き場が無い。

 

主人公を演じた美葉ちゃんはヒカルの葛藤や絶望を見事に表現していて、改めて美葉ちゃんの演技や声質が好きだなと思った。

今回男役を演じた4人、ヒカル役の美葉ちゃん、ツムギ役のこころちゃん、山上部長役のさやちゃん、浜田先輩役のいっちゃんはそれぞれキャラが立っていて良かった。

たぶんヒカルの夢の中の男子部員3人は、

ツムギ-自分が夢の中に生きている存在であることを自覚していて、ヒカルを留めようとする存在

山上-自分が夢の中に生きている存在であることを自覚していて、ヒカルを現実に戻してあげようとする存在

浜田-自分が夢の中に生きている存在であることに気づかず、物事の本質と反対の事(自分がかっこいいかどうか)を見ている存在

という3つの立場の象徴的存在なのではないだろうか。

ツムギが衣装や舞台装置を壊した時に山上がすべてを諦めようとしたのは、自分が生きる夢の世界には未来が無いことを悟ったからなのでは?と結末を知ってから思った。

浜田の部内のいさかいから目を背ける姿勢は、現実から逃避し夢に生きることの象徴だったのかもしれないとも思った。

 

結末を知った今、もう一度配信などで観劇すれば序盤の物語についても再発見があるだろうなとは思うが、つらいのでもう一度観る気力は無い。

BEYOOOOONDSの12人が見せてくれる夢だって永遠ではなくて、ぜんぶが価値ある有限の時間なのだと思うと、おた活も自分の人生もいろいろちゃんとしようって思いました(ぼんやりした感想)