激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

エヴァを一気見した感想

エヴァシリーズが完結した。エヴァンゲリオンサブカルやおたく文化に触れている人間なら観ていて当たり前の基礎教養にあたるものなのになんとなく敷居が高くて観てこなかったのだが、先日完結作のシン・エヴァンゲリオンがアマプラで配信開始され、いい機会なのでTV版からシンエヴァまで一気に観た。

基礎教養というのは別にエヴァのマニアックな知識や解釈を人と語り合いたいと思って言ったのではない。ただ、この世のアニメや漫画にはエヴァの影響を受けたものが多すぎるし、エヴァを知ってるのと知らないのとでは受け取れるものが違うんだろうなとエヴァを知らないなりに感じていた。そういう意味でサブカルにおけるエヴァハイカルチャーにおける源氏物語シェイクスピア的な作品である。

実際エヴァを観ていると、今まで自分が観たり読んだりしてきたあの作品のこの部分ってエヴァのオマージュだったんだなと気づく場面がたくさんあって面白かった。たとえば『3月のライオン』の香子の零に対する態度はたぶんエヴァのアスカを意識して描かれたものだし、PSYCHO-PASSシリーズの残酷な場面で場違いなクラシック音楽が流れる演出もたぶんエヴァの影響を受けているのだと思う。

エヴァ自身も昔の特撮やキリスト教など色々な要素の影響を受けてつくられたものなので(私はキリスト教の知識は多少あっても特撮の知識は全くないのでどこがどう特撮なのかは他人の解説を読まないとわからないが)、エヴァを観る中で他の文化との繋がりを見出して楽しむ部分がかなりあった。

 

肝心の作品自体の話をすると、散々難解と言われているので覚悟はしていたが予想以上によくわからない作品だった。壮大な音楽をバックにエヴァが大暴れしていたりオペレーターが大慌てで難しそうなことを叫んでいたり美少女や美少年が綺麗な声で意味深なことを言っていたりすると意味もわからずいいな〜と思うので楽しく一気見したが、きちんと作品の意味を理解して観ていたわけではない。

一般に難解と言われているアニメ作品でも、幾原作品やジブリ作品はネット上に転がっている解説や元ネタを読めばかなりわかるようになるが、エヴァは解説すら全然理解できないので難解さが頭ひとつ抜けている。

まず作中の用語が意味不明なのでそこから勉強するか……と思ったがわからない用語を説明する用語が意味不明だったのですぐに諦めた。

ゲンドウは過去作のシンジと違い「全てが一つになった世界」を望み、実行し「ゴルゴダオブジェクト」に存在していた「エヴァンゲリオンイマジナリー」に到達。「エヴァンゲリオンイマジナリー」は「ロンギヌスの槍」と「カシウスの槍」を取り込んだことで現実世界へと現出。虚構と現実を等しくするために、生命のコモディティ化エヴァインフィニティー津波と光の十字架が地球を覆う。

以上はpixiv百科事典の「アディショナルインパクト」の項目を一部引用したものだ。

一目見た瞬間に百科事典の説明としておしまいすぎると思ったが、書き手の文章力や私の読解力以前にそもそもの話が複雑すぎてこうとしか書けないしこうとしか読めないのだと思う。

もちろんここに出てきた用語を一個一個理解すればアディショナルインパクトの意味もある程度理解できるのだと思うが、そこまでする気力を失わせるほどにわからないことが多い。

以前「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」という庵野監督の発言が話題になった時、私は庵野監督の代表作であるエヴァを観たことがないにもかかわらず1から10までわかりやすく明示された物語を次々と消化してしまう風潮を冷笑気味に見ていた。だがエヴァを観た後、これほど難解な作品を理解して自分なりの解釈を打ち立てる気力や体力は自分も持っていないのだということに気づいて悲しくなった。確かにここまで謎に包まれていたら喜べない。

 

私がエヴァを観てて好きだと思ったシーンは、TV版の中盤でシンジとアスカがラブコメしてたり(エヴァは哲学的な鬱アニメという先入観があったのでアスカがシンジに「エッチチカンヘンタイ!」って叫ぶシーンはかなり予想外だった)、破でシンジがレイにお味噌汁を飲ませてあげたり、Qでシンジとカヲルがピアノを連弾してたりする普通の少年少女の生活と感情を描いたシーンだった。

エヴァの哲学的なメッセージよりも、暗く絶望的な環境の中でシンジが周囲の人たちと交流して様々な感情を獲得していく物語の方が興味を持てたし、何より綺麗だと感じた。

それで途中までボーイミーツガール、あるいはボーイミーツボーイの物語としてエヴァを楽しんでいたのだが、新劇場版の後半になるとレイはシンジの母親であるユイと、カヲルはシンジの父親であるゲンドウと表裏一体の存在としてシンジに接していることが見えてくるので単純な青春物語的な楽しみ方をしてしまっていた分じわじわと気持ち悪さに襲われた。

レイやカヲルがシンジに向けた愛情は歪んだ母性と父性だったと気づいた時、言いようのない不気味さを感じる。

こういうのがエヴァファンの言う「エヴァ」っぽさなのかもしれない。アニメで描かれた感情を素直に受け取ってしまうと後々裏切られるという一種の悪趣味さが。

 

エヴァはあまりにも有名な作品なので、いかにもオタクが喜びそうな美少女として設定されたキャラクターの表層部分だけ視聴前から知った気になってしまっていた。どうせアスカは紋切り型のツンデレの元祖でレイも紋切り型のクーデレの元祖なんだろうという先入観があった。

しかしきちんと最初から最後まで通してアニメを観ると、彼女たちが何に傷つき、何に執着し、何に希望を見出すのかということがかなり丁寧に描写されているのでリアルな人間像として魅力的に感じる。

そしてこの作品では自己と他者を隔てる境界であるATフィールドや、人と人との境界を取り払い人類をひとつの単体へと進化させる人類補完計画が重要なキーワードとして出てきており、自己と他者の境界というテーマが至る所で提示されている。

エヴァンゲリオンという作品は作中で起きている出来事に関する描写は難解だが、人が自分の欲望を他者に押し付けたり、親との愛着を形成できなかった子供が思春期や大人になっても他者との関係を上手く築けなかったりという人と人との歪な関係に関しては比較的わかりやすく描写しているのでキャラクターの内面や関係性に魅力を見出しやすい。

キャラの魅力に関してもっと俗物的なことを言ってしまえばたぶん男オタクはシンジが女の子と同居してラッキースケベを連発するシーンに最初は目がいくと思うし女オタクはカヲルがミステリアスなことを言いながらかっこよく座っているシーンに目がいくと思う。

哲学的なメッセージの全体像が全然わからなくてもエッチな美少女やエッチな美少年の外面でオタクの心を捉えて、あれ…?自分も思春期の少年少女が抱えたこの鬱屈した内面が少しわかるかもしれない、と思わせ、よくわからないまま最後まで夢中で観させてしまうエヴァはズルいと思ったし、最初はみんな美少女と美少年の悲しい運命に惹かれてエヴァを好きになったのだろう。

そこから深く作品世界を解釈していく楽しみもあれば、描かれたキャラクターの感情をそのまま受け入れる楽しみもある。

 

私はカヲルくんが死を選び、シンジとレイとアスカが荒廃した大地を歩いていくエヴァQのラストシーンが意味もわからずずっと好きだと思います。

なんか、石田彰の声が綺麗だし絵もそれっぽくてかっこいいので……