激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

テニミュ4th不動峰

私は疫病神なので、私が新たに参入した現場では必ず古参が怒り狂っている。

ハロプロにハマりはじめた時はスマイレージの改名やクールハローのゴリ押しで古参が怒り狂っていたし、テニミュを好きになって1年、ようやく生の青学を観れると思ったら4thシーズンの演出改変に古参が怒り狂っていた。

ちなみに、同じく20年以上続いているコンテンツの革命で怒り狂うことには自分も身に覚えがあって、ポケモンがドット絵から3Dに変わった時は割とブチ切れていた記憶がある。

こうして見ると古参のオタクってちょっと洗練されてなくて手作り感があってアナログなものに愛着を感じるあまり狂ってしまうんだなとしみじみしてしまう。

というわけで、別に怒り狂ってはいないおたく(1年ちょっと前にテニミュにハマった。1st~3rdのテニミュは円盤と配信で7割ほど視聴済み。生の観劇は新テニミュと4th不動峰のみ)の4th不動峰感想です。狂ってはいないしすごく楽しく観劇してきたけど否定的な感想もあります。

 4th不動峰公演は生の観劇を初見にしたかったので大阪公演を観に行くまで配信は観ず、特にネタバレを避けることもしなかったので嵐のような賛否両論が視界に入り、正直かなり怖かった。曲や演出の良し悪しはともかく、セットが邪魔等の意見はマイナスにしかなり得ない情報だったし、私はテニミュの泥臭さが好きだったので作り込みすぎている舞台にハマれるか不安だった。

実際観てみると、世界観は少し苦手だけど斬新な演出はかなり楽しかったという感想を持った。

演出の変化とベンチ

テニミュの演出は、1st~3rdが「能」だとすれば4thは「クラシックバレエ」。それくらい別物だった。

一番その違いを感じたのは舞台装置とベンチの在り方で、1st~3rdの舞台には大掛かりなセットも背景もなく、ただネットオブジェがあるのみで、鏡板の松しかない空間ですべてのシーンが演じられる能に近い。試合をしていない選手はお揃いのジャージで舞台の横に並んで歌っていたりして、地謡っぽさもあった*1

一方で4thの舞台装置は登場人物が出入りする扉付きの壁が両サイドにあり、状況に応じた背景があり、試合に出ていない選手は衣装も姿勢もバラバラで、数か所に配置されたベンチに座っていたり、その間に立っていたりする。バレエを観たことがある人なら、4thのベンチの配置を見た時すぐにバレエの舞台っぽさを感じたと思う。

1st~3rdの装置と演出は抽象性が高いため観客の想像に委ねられる部分が多く、ベンチの選手が「演劇の進行の為に並んでいる感」が強い。それに対して4thは、具体性が高いため観客が情景を想像しなくてはならない部分が少なく、ベンチの選手が「試合を見守るキャラクターとしてより自然に振舞っている感」が強い。

どちらが良いかは完全に好みの問題だと思うが、ベンチに関して言えば私は4thの方がキャラクターが生き生きしているように見えて好きだった。従来のようにベンチに部員が密集していないのでベンチワークのやりとりの面白さは若干薄れているかもしれないが、個人個人が主体性を持ってウロウロしているのがリアルだと感じた。部員が全員そろって観客席に並んでいるというのは本来ならばあり得ないことで、実際の彼らはアップをしに行ったり先輩に用事を言いつけられたりでベンチを離れたり、誰かに話しかけに行ったりという動きをするはずである。今回の公演では試合が面白い展開になると扉からひょこっと顔を出す部員がいたり、逆に桃城とリョーマがしょうもないダブルスをしていると海堂がしょーもな…という呆れ顔でベンチを立って扉の向こうへ行ってしまったり、新しい舞台装置によって人の流れの自然さが格段に良くなったと思う。

ベンチのキャラクターの配置も巧みだ。2幕の不動峰戦では舞台上にハの字に左右三つずつベンチが並べられ、上手に青学、下手に不動峰が座っている。部員が少なく、橘をリーダーとして2年生が横並びになっている不動峰は奥のベンチを荷物置きにして中央と手前のベンチ付近に全員が固まっているのに対して、青学側は舞台最奥に手塚、その隣に不二が座り、扉付近からはレギュラー外の選手がひょこひょこと顔を出して試合の様子を伺い、手前のベンチにはゴールデンペアか桃城・リョーマペアが座っている。

部員の配置が両校の性質を対比させているのが第一の巧さで、第二の巧さとして青学側のベンチは部員の立場の違いを視覚的に示している。高い視座から試合を見る手塚・不二を奥に座らせ、客席に最も近いベンチに観客が感情移入しやすいキャラクターを配置し*2、青学ベンチと客席との境界をうまくぼかすことによって観客が試合に没入しやすいようになっている。

舞台装置邪魔論争

私は今回の壁とベンチの舞台セットはキャラクターの動きが自由になったように感じられるので好意的に見ているのだが、実はあの壁はキャラクターを隠してしまうのでオタクから袋叩きにされている。半透明のネットも同様だ。今回、主な舞台大道具として扉とベンチが付属した壁、三角定規みたいなネット、三角定規ネットの奥に隠せる一回り小さい同型の台、自動回転式ネットがある。壁とネットは半透明なものになっており、映像を投影できる仕様になっているので奥にいるキャストが見えづらくなっている。私もネットに関しては視界が遮られて邪魔だと感じたが(特に自動回転式ネットはキャストの見えやすさを犠牲にしてまで写す必要がないものばかり映っているように感じた)、壁はむしろあれでいいと思った。前述したように出ハケが幕袖より自然に感じられるのと、人物が半分見えないことを利用した演出が面白かったからだ。

特に遠征に出かけていた青学レギュラーが登場するシーンは、人物は識別できるものの表情等は壁に遮られて見えず、テニミュボーイズが演じる部員とは格が違う存在としてのレギュラーメンバーを新入生の視点で見せているのでかなり壁が効果的に用いられていると感じた。1幕のラストで不動峰が歌い終わったシーンも壁に隠された部員がだんだん暗転していき、幕切れとして良い演出だった。

今回の舞台装置がここまで叩かれているのは、不動峰公演がこの装置を十分に活かしきれる派手な公演ではないからではないかと思う。私は3rdまでのダサカッコよくて素朴な演出が好きだったが、跡部や三強がただの直方体のお立ち台に乗っているのは悪い意味でのダサさだと思っていたので、4thの大掛かりな装置は跡部みたいな派手なキャラクターや仁王・柳生ペアやラブルスのようなパフォーマンス性の高い試合をするキャラクターが登場した時に化ける気がしている。

今までの1st~3rdは安定した演出とキャストの成長を見て楽しむものだったはずなのに、4thは熟練したキャストと発展途上の演出の行く末を楽しみにしてしまっている。

空と季節の演出

もう一つ大きく変わった演出が、空の背景が映し出されて天候、季節、時刻が可視化され、映像エフェクトも追加されたこと。空は別にあってもなくてもいいかなという感想なのだが*3、試合のエフェクトはかなり良かった気がする。センブロでしか観ていないのでエフェクトのズレなど欠点が見えていないせいもあると思うが、阿吽の呼吸の演出などは全体を通しても特に楽しく感じたシーンだ。乾の試合もデータテニスと映像投影の相性の良さを感じた。

だが季節や時間の経過を示す映像演出は、演出家の描く青春のイメージを押し付けられているように感じてしまう部分もあった。

今回の公演は青学3年生の卒業式から始まり、過去回想としての性格が強い。4thシーズンからは新テニミュの時間軸と並行しており、キャストも一部共通しているのでそうしないと辻褄があわなくなってしまうのだが、過去形で物語が語られたことによりシーズン最初の公演としてのフレッシュさが失われてしまった。それを補うようにして投入されたのが「青春」というワードの多用であり、空模様によって時間の経過を表す演出だった。しかしこの演出はどうしても演出家という大人の意図が過剰に反映されてしまう。青学の中学生たちは今現在を必死に生きる存在であり、今の自分たちが(大人の冷静さと対照的なものとして存在する)青春を過ごしていることは認識していないはずなのに、空の青さや夕焼けを懐古しているように見えてしまうのだ。

冒頭のテーマ曲の序盤に投影される桜吹雪ははじまりの季節を表し、そして曲の後半で打ち上げられる花火は夏の全国大会優勝という結末や青春の一瞬の輝きを示すメタファーである。

オープニングはリョーマが日本を発つ飛行機の音から始まり、そこから手塚達が卒業する春→全国大会で青学が優勝し、不動峰が敗退した夏(テーマ曲部分)→リョーマ入学の春という逆戻しでシーンが展開する。テーマ曲が終わってからリョーマが電車に乗るシーンの間に空の映像が高速で移り変わり、時間の巻き戻しを示しているので、あのテーマ曲は「全国優勝を目指す曲」ではなく「全国大会を終えた選手達が今までの道のりを振り返る曲」なのではないかと私は解釈している。

青学の勝利が絶対に覆らないことは演者も観客もわかっていて、それでも

勝負とは予測の付かない未来
笑顔になるか涙になるか誰にも分からない

でも勝ち負けの行方は
必ず変えることが出来る

 って何年も、何公演も言い聞かせるように歌い続けるのがテニミュの良さだったと思う。

結末がわかっていたとしても、幕が開くたび毎回盲目的に未来へと進んでいくのがテニミュの美学だと思っていたので、花火という夏の栄光のメタファーで最初に結末を予感させてしまうのがなんだかなあという印象だった*4

三浦さんが見せたかったものは、演者と役が結びついて成長する部活的なテニミュではなく、役者がある時点のキャラクターを演じる演劇としてのテニミュだったように感じた。

ただ、季節と時間の流れを強調する演出が全部失敗だったとは思っていなくて、リョーマが最初に部内でその才能の片鱗を見せた時、大石が「春風が連れてきた」と歌うのはすごく良かった。これも感傷的で懐古的な歌詞であることに違いはないんだけど、ちょうど「春風が連れてきた」の歌詞のところで手塚が坂から降りてくるように舞台に登場するのが上手いと思った。つまり、ここでリョーマは大石の視点から手塚の再来として語られていて、リョーマと手塚の才能が部内で特別なものであること、その才能は青学の中には納まらずいずれ海外へ飛び立ってしまうことが桜吹雪の神聖さや儚さと重ね合わされて示唆されている。この演出がテニミュに相応しいのかは微妙だが、個人的にはとても好きだ。

音楽について

私はYuさんが作るメロディが好きだったので今回もかなり新曲が楽しみだったのだが、正直テニミュに合っているのか疑問なものもあった。端的に言うと、ミュージカルではなくアニソンかJ-POPの挿入歌に聴こえる箇所が多々あった。これに関しては曲そのものというより曲入りのタイミングの違和感が大きいと思う。

空模様を投影した演出のせいもあって、「君の名は。」の劇中にRADWIMPSの挿入歌が流れ始めた感覚を思い出した。たぶん、三浦さんの「青春」を強調した演出と化学反応を起こした結果過剰な爽やかさという矛盾したテイストに仕上がってしまったのだと思う。特にゴールデンペアの曲は挿入歌っぽさが強い。過去公演の曲がアップテンポな良曲だっただけにもさっとした印象があり、2人の素直な感情がいまいち伝わってこなかった。

だが、何回も聴きたいと思えるくらい好きな曲もたくさんあった。お披露目で聴いた1曲目のテーマ曲は爽快感と壮大さのバランスが最高で、良い意味でJ-POP的なテーマソングとしての良さがあった。2曲目の青学テーマ曲は歌詞が粋だと思う。

Be the change 

Do Your Best

Stay the course

強くあれ

 この箇所は青学のことだけではなく、テニミュ自体のことを歌っていると感じた。"Be the change" は『テニプリパーティー』での上島先生の「流れない水は腐る」「常に新しい人が入ってくる余地を作らなきゃいけない」という言葉を想起させ、新しい挑戦へと向かう4thシーズンの決意を感じさせる(皮肉なことに、4thの新しい演出が叩かれすぎたことによってこの曲に込められた不屈の精神みたいなものが映えてしまっている)。対照的に"Do Your Best"は前シーズンまでの伝統の継承を示し、革新と伝統が"Stay the course"(あきらめない)と「強くあれ」というテニミュの根幹に帰結する構造が見事だと思った。サビの"Force of Gravity"もカタカナ英語で4thとの掛詞になっており、4thシーズン最初の青学校歌として印象的だ。

バラード曲は 大石や手塚のソロや最後の曲などどれもメロディが綺麗で、キャストの歌唱力を存分に味わえて良かった。

リズムや音ハメが楽しくて、ミュージカルらしい良さがあったのは、桃城リョーマペアの和風な「阿吽」のBGMと2幕のラブ!フィフティーン!サーティ!フォーティ―!の曲。ゲームカウントを歌詞に入れるのは今までありそうで無かった発想だったし、2幕最初のインパクト大のこの曲をS3でもリプライズとして出してくれるのが嬉しかった。この曲は一番テニミュを生で観るドキドキを感じさせてくれるし、今回一番好きな曲になった。

不動峰校歌の曲調も学校のカラーが出ていてよかった。畳みかけるような力強いリズムも不動峰らしさをよく表していると思う。

ただ不動峰校歌のサビにはめちゃくちゃ文句を言いたいことがあって、三ツ矢先生に甘やかされたテニモンが突然"Hang in there"なんて聴かされて聞き取れるわけがないということをわかってほしい*5テニミュの歌詞なら"Hang in there wow wow"じゃなくて、"Hang in there くじけるな"であるべきだ。

今までのテニミュの歌詞は「俺の24時間トゥエンティ―フォ―」とか「ディタミネーショントゥーウィンそれは勝利への決意」とか「決められた結末だそう変えられないラスト」とか、簡単なカタカナ英語を言った上で更に日本語で同じことを歌っていた。小泉進次郎もびっくりのトートロジーだが、実際に聞くとこれくらいの情報量の方がキャラクターの演技や感情に集中できる。

今回の公演は簡単な歌詞の繰り返しが少なく、J-POP的な歌詞の作り方をしているので歌詞がスッと入ってこないストレスを強く感じる。これはミュージカルとして重大な欠陥であり、テニミュがキャラクターの試合を見せるものである以上、技巧を凝らした味わい深い歌詞である前に一発でわかる歌詞であるべきである。

 あとやっぱり過去曲は伝統として半分くらい残してほしかった。昔の曲をどうアレンジして、新たな解釈を与えて歌い継いでいくかというところもテニミュの面白さだと思うので*6

南次郎と井上の存在

中河内さんが演じた仁王がとにかく好きなので、今回は半分くらいOBの中河内さん目当てで来た。私が越前南次郎が苦手な話は前にしたので繰り返さないが、今回の公演ではあまりにも南次郎の汚さが漂白されていて、それでいいのか?と思ってしまった。私は推し俳優にセクハラおじさんを演じてほしくないので好都合だが、いいかげんだけど強くて優しい無害な父親として描かれた南次郎には拍子抜けした。

青春を美化したものとして演出しようとする姿勢に微妙な反感を持っていたが、思わぬところで救われた形になる。この公演では原作で煙草を吸っていた南次郎は煙草を吸わず、明確な悪役として描かれる不動峰の顧問は煙草を吸っている。ここからも煙草を悪サイドの小道具とみなして、意図的に南次郎を善サイドの人間として漂白しようとした演出意図が透けている。

ラストのシーンで、南次郎がリョーマの前に立ちはだかる構図はすごく良かった。4th不動峰公演は、舞台奥の高い位置に南次郎と手塚が立ちはだかり、2人を見上げたリョーマが「もっと強くなりたい」と叫んで幕が下りる。せっかく中河内さんと山田さんという歌唱力のあるキャストが立ちはだかっているのだから、一曲歌って終わってほしかった。それがあれば完璧な終わり方だった。今回疾走感や爽快感に欠ける後味が残るのは、ここでぬるっと幕が下りるせいでもあると思う。

 南次郎に加えて、今回は井上の出番もあり、大人の存在が強調されていた。南次郎を取材に来た井上が「私も学生の頃(テニスを)バリバリやってて」と言うシーンはキャラクターとかつて橘と仁王を演じた演者との二重写しになっていて、ハッとさせられた。演者の過去の役に色々な意味を含ませているのがテニミュを観ていて楽しいことのひとつだと思う。

それだけに北代さんに不動峰のクズ顧問を演じさせたのは許し難かった。過去に橘役として不動峰を率いていた北代さんに不動峰の2年生を傷つける役を演じさせたのは、今までのテニミュは役者とキャラクターが不可分なものであって、通常の演劇とは異質なものであることを理解していれば絶対にできないことである。

スミレがいなくても舞台は成り立っているのにただ北代さんがちょうどいたからという理由で考えなしに不動峰の顧問を出したのだとしたら軽率すぎて呆れるが、2ndの謙也に3rdでオサムを任せるノリでキャスティングしていたのだとしたら発想がサイコパス過ぎて面白いのでむしろそうであってほしい。

気になったキャラクターなど

今回は新テニミュからの続投キャストも多く、全体的に歌唱やダンスのレベルが高かった。シーズン最初の公演なのに隙が無く、ちょっとした立ち振る舞いや声の調子からキャラクターの人間性が見えたので本当に全員魅力的だった。

その中でも特に南次郎と不二と手塚が好きになった。

・南次郎

中河内さんのダンスが大好きなので、南次郎がラケットを持って踊るシーンがあってすごく嬉しかった。南次郎は袴衣装なので跳んだり回ったりするのだろうかと思っていたが、半袖短パンで仁王を演じていた時と変わらないくらい激しく踊っている。

踊っていてもラケットを振っていても衣装がまったく邪魔そうに見えず、回っている時の着物の裾の翻りも綺麗だし、ジャンプして空中で脚を入れ替えた時に袴がバサッとさばかれるのもかっこよかった。

脚本も中河内さんの存在感も、原作やこれまでのテニミュのみっともない南次郎からあまりにかけ離れていると思った。南次郎がバレエ的なダンスを踊ると、一気に伝説のテニスプレイヤーとしての側面が強調される。

今までのテニミュではお立ち台の上でラケットを振るのは跡部や真田などリョーマより格上の特別なキャラクターだけだったが、今回の公演では南次郎とラストの手塚だけが台の上からリョーマを見下ろす。まだ圧倒的な強敵が出てこない不動峰公演で俗っぽさとは離れた中河内さんが南次郎を演じたのは、舞台に緊張感を与えるのに一役買っていたと思う。

・不二

元々青学の中で一番好きなキャラクターが不二なのでやっぱり目がいく。テニミュの不二は古川さんのような儚い不二、三津谷さんのようなミステリアスな不二、矢田さんや神里さんの百腕巨人の門番を召喚できそうな不二などその代によってかなりブレるが、持田さんは定本さんに近い可愛い系の不二だと思う。

不二は青学の中でもアニメキャラっぽいというか、現実の3次元世界にいると不自然になりがちなキャラクターだが、持田さんは不二らしさを守りながらも中性的な佇まいや話し方を誇張することなく自然に演じていたので上手いと思った。演技以前に少年のように綺麗な声質そのものがとても不二のイメージに合っていて、台詞や歌声が違和感なく心地よく響いてくる。

手塚にちょっかいをかけた九鬼を見る目つきが怖くて綺麗なので、毎回見逃さないように双眼鏡を持ってスタンバイしている。鋭く睨んでいるわけでもないのに怖くて綺麗というところに不二先輩の魅力が詰まっていると思った。

・手塚

山田さんの手塚は新テニミュでの大和の後輩としての立ち振る舞いや若々しい歌声の印象が強かったので、今回威厳ある部長の姿を演じていて表現力の幅を感じた。11代目は全体的にみんな歌が上手いが、その中でもずば抜けて良く響くし、音の取り方も毎回正確。

山田さんは歌だけでなくダンスも上手だった。毎回きっちり大きく踊っていて、集団の中でも目を引く。7代目手塚の多和田さんが「手塚の役だからあんまりノリ良く踊らないで」と注意されたエピソードを聞いたことがある気がするので、手塚は上手く踊りすぎてはいけないのかと思っていた。今回は振り付けも複雑で、ラケットの操作もバリエーションに富んでいるので観ていて楽しい。真顔でめちゃくちゃ上手いダンスを踊る手塚は新鮮でかっこよかった。

おわりに

演出と音楽に改善してほしい点はあったが、総合的に見ればすごく楽しかった。

ショー的なテニミュとして楽しかったのは新テニミュや(映像でしか観ていないので比較しづらいが)1st~3rdの方だが、キャラクターの実在をより強く感じることができたのは原作を丁寧になぞった4th不動峰公演の方だった。

音楽や試合で観客を楽しませるショー的な要素が減り、物語性や演劇性が高くなったことを単純な良し悪しで語ることができないが、舞台上に見られる客体としてのキャラクターがいるのではなく、自由な主体としてのキャラクターが目の前に生きているという感動をより強く与えたことは新演出の功績であると感じた。

みんながキラキラしてかっこよくて、これ毎日思ってるけどテニミュって楽しいなって思った。まだチケット持ってるのでまた観に行きます。

*1:実は今までも全立の《赤いデビル》を観るたびに、前シテが人の赤也で後シテが悪魔の赤也、地謡方が立海の6人だなとなんとなく思っていた

*2:リョーマは感情移入しやすいキャラではないかもしれないが、桃城といるのがミソだと思う

*3:青学が青空で不動峰の不遇時代は曇り空、みたいなのは観客の想像力を潰している説明過多な演出にも思えるけど、試合後の夕暮れは雰囲気が出て良かったかも。雨のエフェクトは実際の水をキャストにぶっかけていた1st氷帝公演を思うとあってよかった映像演出だよね

*4:桜吹雪や花火それ自体は舞台を観ている臨場感を感じられてすごくわくわくする演出だったので、単純に舞台のオープニングとして見ればすごく好き

*5:私は何回聴いてもまったく聞き取れなかったので「不動峰 歌詞」でTwitter検索をかけてようやく理解した

*6:1st~3rdのトンチキ曲が全部封印されて4thでお洒落な曲に一新されていたの、私はアンジュルムのおたくだから我慢できたけどアンジュルムのおたくじゃなかったら我慢できてなかった。悲しいことに私はハロオタなので新しいクリエイターが過去のダサカッコよさやトンチキを模倣しようとしてもクソ滑りすることも知っている