激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

トンチキへの信仰告白

一目見た瞬間にそのアホさに笑い転げて、後から脳にじわじわ染みてくる作品が好きだ。これ、一周回って世の真理を説いた哲学なんじゃないか?みたいな作品。

私はそんな「トンチキ」に救済されながら生きている。

 

トンチキ、地の塩、世の光。

 

日本国語大辞典によると、「トンチキ」という言葉は「ぼんやりしていて、気のきかないこと。また、その人。のろま。とんま。まぬけ。」と解説されています。本来はマイナスイメージを持つ言葉ですが、この用法から転じて「トンチキ」は現代の音楽シーンにおいて意味不明ながらも明るく滑稽な楽曲やパフォーマンスの総体を指す言葉として用いられます。

音楽シーンにおける「トンチキ」という言葉が広く一般に認知されるきっかけとなったのは、2018年にDA PUMPがリリースした楽曲《U.S.A.》の流行でしょう。《U.S.A.》は歌詞、衣装、ダンス、MVなど様々な面においてその「ダサかっこよさ」が話題となり、異例のヒット曲となりました。

 

私は基本的にトンチキなものは何でも好きです。歌詞は意味が分からなければ分からないほど良いと思ってるし、一着の衣装に使われる布の種類は多ければ多いほど良い。このブログのタイトル「激ダサDANCEで凍らせて」も振り付けはダサければダサいほど素晴らしいという思想に基づいて付けました。

その愛するトンチキコンテンツの中でも特別に好きなのがハロプロモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトのアイドル)とテニミュ(『テニスの王子様』を原作としたミュージカル)です。ハロプロテニミュも、アホみたいな世界観とふざけてるとしか思えないセンスに笑ってたらいつの間にか本気のパフォーマンスに魂をねじ伏せられていて、いつの間にか好きになっていました。好きになったというより、気づいたら入信していたという表現が近い。

 

ちなみに「トンチキ」という言葉は他にもジャニーズとか宝塚歌劇でも使われているらしく、関ジャム(関ジャニ∞が出演する音楽バラエティ番組)でジャニーズトンチキ曲の特集が組まれたり、宝塚でもぶっ飛んだストーリーや演出の演目がトンチキ作品としてファンに愛されていたりするそうです。

私はSexy Zoneが「ドゥバイ 楽しい街並み ダンシング! 夢の噴水ショー 長い救急車 ポリスはスーパーカー*1」とか歌ってるの見たら多分すべてが良すぎて入信しちゃうし、この前NHKで放送してた宝塚の『GOD OF STARS -食聖- 』を見た時にはフライパンを持ちながらラップバトルを始める主人公とライバルを見てもう半分入信してしまいました。これ以上信仰の沼を増やすのが怖くてジャニーズと宝塚には深入りしないようにしています。我々は必ず世俗の世界を生きなくてはならないので。

 

ハロプロテニミュってファン以外の人から見たらすごくダサくて、ファンが見てもやっぱりダサい。試しに「♯つんくのこと天才だと思った歌詞を晒せ」「♯テニミュ歌詞が天才選手権」でTwitter検索を掛けてみてください。もしくは「ハロプロ ジャケット ダサい」「テニミュ 衣装 ダサい」でgoogle画像検索を掛けてみてほしい。正気か?ってなっちゃうから(テニスウェアの上から貴族みたいなキラキラジャケットを羽織って大真面目に歌ってる跡部景吾の画像貼りたいけど著作権とか肖像権がアレなので貼りません)。でもファンがそのダサさにハマってしまうのは、ステージ上でわけわからん衣装を着てぶっ飛んだ曲を歌う彼女達、彼等がいつでも真剣だからだと思います。

また《U.S.A.》の話に戻ってしまいますが、OriconインタビューでのISSAさんのコメントはトンチキ曲がなぜ人の心を打つのかということについて完璧な答えを出しているので紹介します。

 

正直、最初は『おい、まじか。これかよ』という思いもありました(笑)。でも、僕らにできることは“完璧に仕上げること”なので。そこでスイッチも入りましたし、“U.S.A.という場”で、“しっかり遊ぶ”“真剣にふざける”などの方向性が見えた時点で、違うものに見えました。

https://www.oricon.co.jp/special/51204

 

トンチキは演者の高い技量(歌唱力、ダンススキル、舞台上でのカリスマ性)なしには成立しません。ダサいことを適当にやっていたら本当にただのダサいステージになってしまう。ハロプロにしろテニミュにしろ、ふざけた歌詞に真剣に向き合い、高いレベルで歌いこなそうとする姿勢が言語化できない感動を生み出しているのです。

その真剣な姿勢は、メンバーやキャストの態度であると同時に歌詞のメッセージにも表れています。

 

世界中をパラダイスに 変えてみせなよ

Wow Wow Wow

今 光れ! 真剣に生きろ

地球の怒りに逆らうな

この柔肌に 嘘などないんだ

 

恋愛ハンター/モーニング娘。

 

戦え ジンジンジン

ぶつかっていけ ガガガッツ

ヒートアップや 太陽熱超えろ

打ち合え バンバンバン

立ち向かってけ ダダダダッシュ

試合・メイクス・ミー・ハッピー

テニス・メイクス・ミー・ハッピー

うちらのハートは 高鳴るパーカッション

 

(うちらのハートはパーカッション/四天宝寺中学校)

 

シンプルにダサいし意味が分からない。でもダサいからこそ心にじわじわ染みてくるものがあって、真っすぐすぎる歌詞を真っすぐに歌うメンバーやキャストの姿勢に心を打たれます。泥臭い努力を肯定するトンチキ曲は、そつなく無難に生きることを良しとする風潮の中を生きる我々に向かって、必死でダサく生きても良いのだと語りかけてくれるのです。

 

ハロプロの歌詞やテニミュ(というよりテニプリ)の物語には、デカすぎる概念が頻繁に登場します。特に目立つのが地球、宇宙、愛。ここは愛知万博か?

ハロプロの歌詞に地球だの愛だのがやたら出てくるのは有名な話で、地球回る 宇宙もDance Dance*2だし、テニプリの世界観がいちいちクソデカスケールなのも有名な話で、テニスしてたら引力の力で地球に隕石が降ってくるし*3作中ではテニスへの愛が最強の切り札になってしまう。

地球や宇宙は意味不明な面白さを演出するものであると同時に、未知の世界や無限の可能性のメタファーでもあります。トンチキコンテンツにおいては外界へのポジティブな感情を表現するために、しばしば広大な概念が脈絡なく登場します(さっき引用した《U.S.A.》や《バィバィDuバィ ~See you again~》で意味もなく楽しげな遠い異国の様子が描写されるのも、そういうことだと思います)。

 

ここでトンチキの定義を勝手に整理したいと思います。

 

トンチキの三大定義

  1.  一見意味不明でダサい物事にも真剣に向き合う姿勢
  2.  努力と積極的態度の重要性を語る
  3.  「地球」「宇宙」「愛」といった広大で曖昧な概念が脈絡なく登場する 

トンチキコンテンツは「努力」や「積極的態度」の重要性を語りますが、最終的に「地球」「宇宙」「愛」などの壮大なスケールの概念が物事を解決します。人が必死に努力を重ねて行きつく先はいつでもクソデカ概念なのです。C’mon, baby アメリカ どっちかの夜は昼間。人間は小さな存在。

 

トンチキ曲を聴いたとき、人はそこに隠されているはずのメッセージを考えてしまう。「帰りにうどん食べてくわ 明日が待ってるもん*4」とは何なのか。「俺たちに触るな ブラックホールに送り込むぞ*5」とは何なのか。我々凡人は突然降ってきたうどんやブラックホールに戸惑いを隠せません。でも本当は、言葉には必然性が無くても良い。「ラッキーだけで一生もたない TIKI BUN*6」にも、「ダメな時ほどシャカリキファイトブンブン*7」にも、きっと深い意味はないんです。ただ語呂が良かったからブンブン言ってるだけ。

意味が分からないからこそ私たちはその意味の空白に惹きつけられ、この歌は確かに私のことを励ましていると感じてしまう。そこにトンチキの魔力があるのだと思います。

 

私は絆とか人類愛とか汗と涙とかそういうものに心を動かされる人間じゃないです。むしろ何に対しても斜に構えてしまうひねくれた人間。

なのになぜ底抜けに明るくて恥ずかしい程に暑苦しいハロプロテニミュを好きになってしまったかというと、一見ポジティブ全開に見えるハロプロテニミュが本質的なところでは「孤独」を歌っているからです。

トンチキの圧倒的な肯定力と包容力は、孤独や寂しささえ否定しない。

 

例えばモーニング娘。が出演したROCK IN JAPAN 2019のセットリスト。

 

EVERYBODY SCREAM 意味ないけど

コンビニが好き HAHAHAHA

 (ザ☆ピース!/モーニング娘。

 

って歌っててほんとに意味ないな?って思ってたら最後の最後に6万人の観客を前にして

 

WOW WOW WOW みんなロンリーBOYS&GIRLS 

ロンリーBOYS&GIRLS

 (ここにいるぜぇ!/モーニング娘。

 

って叫んでて、すごいよハロプロ、意味はわからないけど孤独すら肯定してるんだ、って思いました。

 

テニミュで言えば、全国立海公演で主人公のリョーマがラスボスである幸村に勝った後に歌うソロパート。

 

冷たく燃え上がる 心の中の炎

明日をこの手に入れるために

負ける訳にはいかないんだ

一人で立ち向かう コートは孤独な夢

確かな未来見つけるために

限界まで走り抜けてやる

 (THIS IS THE PRINCE OF TENNIS)

 

仲間との絆を語ってきたテニミュの物語において最後に主人公が歌うのは、結局人間は孤独な戦いに向かわなければならないという真理です。

でも勝負と向き合うことの厳しさに心を打たれたのもつかの間、その直後にはキャスト全員でTHIS IS THE PRINCE OF TENNIS♪ HE IS THE PRINCE OF TENNIS♪って歌いながら中腰でテニスラケット構えたまま舞台上で反復横飛び始めるんですよ。

ダサすぎる…

好きだ…

そしてキャスト挨拶が終わって本当の本当に最後の曲。シャカリキファイトブンブン~♪アイライクユーフワフワ~♪(意味不明)で締めて幕下り。

 

目の前にある厳しい現実から何もかもがデカすぎる意味不明な世界観への転調に私は脳震盪を起こし、緊迫感とぶっとびを自在に行き来する歌詞にトンチキの魔力を感じました。

 

ここまでトンチキへの信仰を語ってきましたが、「意味の分からなさ」が魅力のトンチキを言葉で的確に説明するのは不可能です。

ぜひ適当に動画検索をかけてトンチキの哲学を感じてください。

探すのが面倒なのでリンクは貼りません。真っすぐで一生懸命なトンチキが大好きと散々言っておいて、私自身の人生のモットーは省エネ。完全に勝田里奈側の人間であり、財前光側の人間なので。(そんなことある?)

*1:Sexy Zone《バィバィDuバィ ~See you again~》

*2:アンジュルム《46億年LOVE》

*3:劇場版 テニスの王子様 二人のサムライ The First Game』における手塚の対戦シーン

*4:℃-uteDanceでバコーン!

*5:氷帝学園《凍てつく者の熱き思い》

*6:モーニング娘。TIKI BUN》

*7:テニミュ3rdシーズンアンコール曲