激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュの推し事記録とその他雑記。

テニプリにおける「悪」とはなにか-テニミュの歌詞から考える氷帝と立海

私がテニプリにドハマりしたきっかけは、ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン全国立海公演の無料配信でした。テニプリ、歴史が長い有名作品だしなんとなく知ってはいたけど、跡部景吾というキャラクターの人気がとんでもなくて、テニスコートを舞台に超能力バトルが繰り広げられていて、なんや知らんけど世界観がむちゃくちゃでぶっ飛んだ作品なんやろ、と思っていた。でもこの舞台を見て抱いた感想は、そういうぼんやりしたぶっ飛びテニプリ像とは全然違って、テニスに縋りついた幸村が生意気な中学一年生に負けて胸が苦しい、なんなんやこの辛い物語、というものでした。もちろん五感を奪われてもなおテニスをあきらめないリョーマの姿も感動的なのですが、終始潤んだ瞳でラケットを振り続ける立石俊樹さん演じる幸村はあまりにも儚くて、その真摯さにより強く感情移入したのを覚えています。その後しばらく経って、原作の許斐先生が公式ファンブックの10.5巻でリョーマを悪人と評し、テニプリ「悪人がさらなる悪人を倒す物語」と語っているのを知り、全立初見時に抱いた感情の正体がわかりました。

 

テニプリファンから怒られそうですが、許斐先生の発言を踏まえてテニプリとは青学と越前リョーマが他校という「悪」を倒す物語であるという前提でテニプリテニミュを考察したいと思います(テニプリキャラクター=悪人と言っているのではなく、キャラクターが内面に負の要素を抱えていて、それをリョーマに打ち破られる物語の構造があるという解釈をします)。テニプリの主人公である越前リョーマは「友情・努力・勝利」を標榜するジャンプ漫画の主人公としては異色な、クールで天才肌の少年です。たしかに生意気で無礼な態度は悪人としての要素を持ち合わせていると言えます。ではリョーマが倒す「さらなる悪人」とは誰を指すのかというと、他校の対戦相手達であり、ミュージカルの全立後編で重要な役割を果たしているライバルズです。毒舌なぼやきを連発する伊武やテニスに真剣に向き合わない亜久津、他校の顧問にボールをぶつけて病院送りにする比嘉中の田仁志はわかりやすい悪役と言えますが、日吉、真田、跡部の「悪」は彼らに比べてわかりにくい。彼らの、そして彼らが属する氷帝立海の「悪」の側面について今回焦点を当てたいと思います(こう考えると純粋無垢な不二弟はライバルズの中で異色だなと感じます)。

 

まずテニプリ世界における「善」(=「悪」の対概念)を定義したいと思います。それは、「テニスを楽しむ」ことです。テニスを楽しむことは作品世界における究極奥義である天衣無縫の極みにつながるものであり、楽しむことこそが強さであるということは作品の最終的なメッセージでもあります。主人公であるリョーマは「悪人」であると同時に、この「善」をもってして最後の敵である幸村に勝利します。

 

ライバルズは基本的に主要校から一人ずつ代表が出ていますが、六角と四天宝寺からは出ていない。これは過去の試合の流れの都合上リョーマまで試合が回ってこなかったからなのですが、私はここに深い意味があると思っています。「顧問のオジイを筆頭にテニスをエンジョイする」六角やお笑いテニス部の四天宝寺は楽しいテニスをモットーとしているために、倒すべき「さらなる悪人」が存在しておらず、リョーマの出番がなかったのではないかという点です。テニスの王子様の元々の構想では四天宝寺遠山金太郎という底抜けに明るいキャラクターを主人公に据え、リョーマをライバルとして登場させる予定でした。遠山金太郎はライバルであるコシマエを打ち負かすことを目標に掲げていますが、そこにドロドロとした執念はありません。彼はお笑いテニス部四天宝寺の校風を体現したキャラクターであり、リョーマとの試合を心から楽しみ、天衣無縫の極みを使うこともできます。金太郎は純粋な「善」であり、六角の選手もこうした「善」の要素を強く持っている。そのためライバルズ(=悪人であるリョーマが過去に倒したさらなる悪人)に六角や四天宝寺の選手は加わっていないのだと考えられます。

 

全国出場校の立ち位置

 

全国大会で青学が戦った四校は比嘉、氷帝四天宝寺立海ですが、この四校の位置付けについて考えたいと思います。前述したとおり四天宝寺は楽しむテニスをしているという点において他の三校とは異なり、「善」を象徴する学校です。それに対して明確な悪役なのは比嘉。許斐先生はミュージカル3rdシーズン比嘉公演DVDのパンフレットにおいて「比嘉は唯一のヒール校」と発言しています。この発言は、ただ勝つだけじゃ面白くないという理由でわざわざ手塚との試合を長引かせた跡部景吾率いる氷帝や、悪魔と化して対戦相手を半殺しにする切原赤也を擁する立海はヒール校として描かれているわけではないということも示しています。

 

氷帝立海には共通点が多く、青学と関東大会と全国大会で二回対戦している点、自らを「王」と称している点、プライドの高さが強調されている点などが挙げられます。リョーマに倒される「悪」ではあるものの明確なヒールではない二校の特色を分析したいと思います。

 

ミュージカルの歌詞から氷帝立海を読み解く

 

出番の多い全国出場校のうち比嘉と四天宝寺についてはすでに述べたので、氷帝立海の「悪」についてミュージカルの歌詞から考察します。もちろんミュージカル曲を作詞している三ツ矢先生の意図と原作の許斐先生の意図は完全に一致するものではないし、どうしても恣意的な解釈が避けられないのですが、これ以上にライバル校の心情をわかりやすく表現しているものはないので今回分析対象とします。

 

氷帝曲】

氷のエンペラーⅡ

REMEMBER HYOTEI

氷点下の情熱

凍てつく者の熱き思い

俺たちはブリザード

氷の刃

(計6曲)

 

立海曲】

非情のテニス

お前ら…崖っぷちギリギリ

負けることの許されない王者

俺たちの辞書に敗北はない

降臨する王者

三連覇に死角なし

執念の焔

常勝立海

勝つことが使命

永遠のエンブレム

(計10曲)

 

いわゆる「校歌」と言われている楽曲を中心に、学校単位、チーム全員で歌っている曲のみを選出しました。ソロやデュエット曲、他校と一緒に歌っているもの、短縮版や、バージョン違いは除きます。また、学校単位で歌っているものでも《鏡の中の俺Ⅱ》や《神の子~デッドエンド》などの特定の個人を称える曲、氷帝の独自性を明確に打ち出しているわけではない(歌詞に他校が歌ったとしても違和感のない普遍性がある)《season》などは除外しました。新参オタクなので抜けている曲があったら教えてください。

 

まず学校別に多く使われている名詞を集計してみます。私はデータに激弱なので、ネット上で拾ってきた歌詞を片っ端からワードに張り付けて複数回使われた名詞を手作業で文章検索に掛けるという方法でカウントしました。不正確なところがあるとは思いますが、雰囲気だけでも示せたらなと思います(動詞、形容詞などは活用などの関係で集計が大変すぎるので今回は無視します)。

 

氷帝曲】

1位 俺達(「俺たち」も含む)39回

2位 氷帝(「HYOTEI」も含む)32回

3位 氷 27回

4位 エンペラー 14回

5位 ブリザード 13回

 

立海曲】

1位 俺達(「俺たち」も含む) 22回

2位 立海 16回

3位 勝利 15回

4位 お前 14回

5位 敗北 13回

 

氷帝立海ではそもそもの曲数が違う上に、関東大会で青学の前に立ちはだかった時の曲と他校にゲスト出演した際に青学へのリベンジを誓う曲では性質が異なるなどの問題があるので単純な比較は難しいのですが、頻出語彙を見比べるとおおよその雰囲気はつかめると思います。ただ、氷帝曲はサンプル数が少なすぎてランキングからわかる傾向はあまりありません(例えば「ブリザード」は《俺たちはブリザード》にしか出現しないにもかかわらず5位にランクインしています)。

 

氷帝曲と立海曲に頻出する語句を抜き出すと、最も多用されている語句は「俺達」と校名、つまり自分たちを称するものであることがわかります。3位以下を見てみると、氷帝では「氷」「エンペラー」といった自校の校名にまつわる語句が多用されるのに対して、立海ではとにかく勝敗に関する語句が多用されています(ちなみに6位は「掟」「常勝」「王者」が同率でそれぞれ9回出現しています)。これは氷帝が自分たち自身に誇りを抱いているのに対して、立海が勝利という事実のみに価値を感じていることの表れであるのではないでしょうか。

 

氷帝の傲慢

 

立海が王者を名乗るのは文字通り全国大会を制した王者だからなのですが、氷帝が王を称する(《俺たちはブリザード》曲中であったり、そもそもの校名であったり)根拠とは何なのでしょうか。氷帝が青学に負けた後六角公演のゲストとして歌う《REMEMBER HYOTEI》の曲中では「We are still No.1」というフレーズが繰り返されます。しかしよく考えてみると氷帝は都大会では不動峰に負け、前年度の大会では関東大会準優勝、全国ベスト16と、まったくナンバーワンでも王者でもないわけです。この歌詞から察するに氷帝は勝敗に関わらず王者としてのプライドを持ち続けている学校であり(そこにダサさを感じないのはやっぱり氷帝がなんだかんだ熱くて泥臭い努力家の集まりで、部長の跡部の生きざまがかっこいいからだと思います)、全国を制したこと自体にプライドを持つ立海とは根本的に異なります。

 

氷帝は厳しい実力主義によってレギュラーが選抜されている設定があり、勝敗に対してシビアなイメージがありますが、意外にも氷帝曲の歌詞に「勝」というワードはほとんど登場しません。熟語に含まれるものや品詞の区別などすべて無視して「勝」という漢字のみをカウントすると、立海で57回(一曲平均5.7回)、氷帝で7回(一曲平均約1.1回)となり、有意な差が生じています。

 

むしろ氷帝曲に頻出するのは勝負と無関係な「カレイドスコープ」「彫刻」「陶酔する」「見とれる」などの芸術や美に関するワード、そしてオサレなカタカナ語です。立海曲に登場するカタカナ語は「プライド」「エンブレム」のように一般的な日本語文でも用いられるシンプルな語句なのですが、氷帝曲では「アイシーウェポン」「キラースーツ」のようなオサレで長いカタカナ語がしばしば登場します。このような語句は氷帝の誇りの高さやお金持ち感、そして何より笑ってしまうくらいのナルシシズムを示しているのですが、それは氷帝が多くのファンに愛される要因の一つであると同時に、作中で「悪」と見なされる傲慢さの表れでもあります。

 

ミュージカルの歌詞で強調されている氷帝の「悪」とは傲慢とナルシシズムでありリョーマと対戦した日吉の他の部員を見下すような不遜な態度、跡部の尊大さは自信家が多いテニプリのキャラの中でも特に目立つものだと思います。ただ、その傲慢さは単純な「悪」ではなく、傲慢さと表裏一体の自信は日吉にしろ跡部にしろ弛みない努力に裏付けられたものであり、お坊ちゃま特有の自己肯定感の高さには清々しさをも感じます。傲慢な敵を主人公が打ち負かすというのは定番すぎる物語の構造ですが、決して氷帝を嫌味なナルシスト集団で終わらせないのがテニプリの絶妙なところだなと思います。

 

立海の勝利至上主義

 

立海曲の歌詞において勝敗に関する語句が頻出していることは前述した通りです。立海曲の歌詞では、勝たねばならない、誇りを守らねばならないというメッセージ以外は排除されているといっても過言ではありません。その中で《負けることの許されない王者》や《永遠のエンブレム》における幸村のソロパートは、友情について語っているという点で他の歌詞とは異質です。立海曲は幸村が関わっている時にのみ友情という情緒的な面が表現され、幸村が唯一無二のチームの核であることを示しています。原作では深く言語化されていなかった幸村を中心とした部の結束が、ミュージカルにおける立海の悲劇性を増幅させているのではないでしょうか。

 

テニプリにおける「善」とは「テニスを楽しむ」ことであることははじめに述べましたが、全国立海戦ではその「善」の希求というラストシーンの為にS3~D1までが存在していると言っても良いと思います。幸村が真田に真っ向勝負を捨てさせるS3、柳が後輩を操り旧友を病院送りにするD2は、立海は勝利のために手段を選ばない集団であるということを読者に強く印象付けるための試合でもあります。

 

試合に負けた部員を容赦なく殴る真田は明らかに正気の沙汰じゃないし、ミュージカルの《神の子~デッドエンド》で幸村を囲んで跪く真田以外の部員も明らかに様子がおかしい。立海の本質はこうした狂気にあるのですが、その狂気を前面に押し出すために立海には監督が登場していません。全国出場校では青学の竜崎先生、比嘉の早乙女監督(テニプリの中で一番強烈な悪役だと思います)、氷帝の榊監督、四天宝寺のオサムちゃんが登場しているにもかかわらず立海の監督だけが描かれていないのは、意図的に描いていないとしか考えらないと思います。明確なヒール校である比嘉の暴力性は早乙女という大人に原因を負わせることによってコメディ的なところに落ち着いているとも言えますが、それに対して、立海の暴力性はラスボスという立場上コメディになってはいけないし、大人が登場すれば立海の狂気も幸村や真田の絶対性も描く事ができなくなってしまう。立海の「悪」とは自分たち自身が作り上げた無敗の掟が自分たちのテニスを締め付けることであると思います。作中最後の試合でリョーマが常勝という狂気に囚われた幸村にテニスを楽しんでいるか問う場面はあまりにも無神経で残酷です。この試合は「悪人がさらなる悪人を倒す」構図を最も端的に表していると言えるでしょう。

 

試合に負けた部員を鉄拳制裁し、関東大会決勝でリョーマに負けた自分を部員に殴らせていた真田は、全国決勝の最中幸村に背を向けリョーマの記憶を取り戻そうと力を貸します。ここに勝つために手段を選ばないという「悪」から解放された真田の姿を見ることができる一方で、幸村は最後まで勝利のみに固執したままリョーマの天衣無縫に敗北します。原作ではリョーマと幸村の試合後にJASRAC申請中の文字と共にオリジナル曲が流れる衝撃的なラストを迎えますが、幸村が越前に握手を求めるコマと真田が盾を受け取るコマ以外に敗北した立海の様子は描写されず、テニスを楽しめない幸村が救済されるのは『新テニスの王子様』17巻で幸村がテニスができる喜びを力にイップスを克服するシーンまで待たなくてはいけません。

 

全国大会決勝で物語が完結するミュージカルでは、《頑張れ負けるな必ず勝て》の立海パートで幸村、そして立海の選手たちが救済されているのではないでしょうか。立海全員で歌う「滲む悔し涙のきらめき忘れないで」という歌詞において、初めて立海は敗北という過去を受け入れ、肯定できるようになります。メタ的な視点で見れば、キャラクター同士が送り合うメッセージであると同時にテニミュから観客への最後のメッセージでもあるこの曲に立海の前向きな感情を乗せることによって、キャラクターとキャストの成長を描く二重構造のテニミュの物語がハッピーエンドを迎えるとも言えます。これまでの立海曲では勝利以外のことに価値を見出すことのない立海の姿が描かれており、《勝つことが使命》の「負けるのは恥 屈辱でしかない」という歌詞はその典型です。この歌詞は氷帝が《氷点下の情熱》で「辱めは明日への糧」と歌っていたこととも対照的であり、やはり氷帝立海の差別化は勝利と敗北に対する価値観によってなされているように感じます。両校の歌詞の特徴を見比べることで、三ツ矢先生が表現しようとした学校のカラーが見えてくるのではないでしょうか。

 

おわりに

 

私が初めてミュージカルの全国立海を見た時に感じた幸村への同情と言いようのない苦しさは、全国氷帝跡部リョーマに髪を剃られたことにブチ切れた雌猫達の感情と共通するものがあると思います。確かに、橘妹を執拗にナンパし樺地ポケモントレーナーのごとく顎で使い桃城を馬鹿にする初登場時の跡部は紛れもない嫌な奴だし、勝利に固執するあまり他のすべてを投げ捨てた幸村は悪人なのかもしれません。でも気絶した人間の髪にバリカンを当てたり、病から立ち直ったばかりの人間に「テニス、楽しんでる?」と挑発したりするリョーマリョーマでなかなかえげつない。傲慢でナルシストな敵や勝敗に執着する敵を打ち負かす主人公というのは物語の王道であり、勧善懲悪のカタルシスを生むものでもあるのですが、テニプリにおいてはそうした二項対立にねじれが生じています。

 

少し話が脱線しますが、主人校ということもあり基本的には光属性っぽいキャラが多い青学の中で一番負の側面が強調されているキャラクターは不二だと思います。勝負に本気になることができない不二はテニスにスリルを求めてしまう天才肌のプレイヤーであり、努力や情熱といった少年漫画らしい明るい性質とは離れたキャラクターです。そしてリョーマと同様に、不二が打ち負かした対戦相手は、弟の祐太を都合よく操ろうとした聖ルドルフの観月、ラフプレーを繰返す赤也や詐欺師の異名を持つ仁王など、悪人としての側面を持つ選手が多いのです。

 

テニプリは登場人物の数が多い作品にもかかわらず、どの学校・キャラクターも大きな人気を獲得しています。それは、敵役に対してあえてリョーマや不二といった「悪人」をぶつけることで、キャラクターの善悪を二分せずそれぞれの正の側面、負の側面を上手く読者に見せているからではないでしょうか。もし遠山金太郎が楽しいテニスで「悪人」を打ち負かす物語だったならば、テニプリのキャラ人気はこれほどまでに絶大なものとならなかったと思います。

 

シュールギャグ漫画でもあるテニプリをこのような解釈で読み解くのは野暮な気もしますが(新テニでテニスプレイヤーが海賊に刺されたり、跡部が全裸になって局部にモザイク掛けられたりしてることを考えると、もう善悪や跡部のキャラクターを真面目に論じることはできません)、原作漫画やミュージカルで描かれる立海は確かに重くて苦しい感情を背負っていて、テニスのみならずあらゆるスポーツや仕事、趣味、その他の営みに通底する「結果を出すことと楽しむことの二律背反」について考えさせられます。ミュージカル3rdシーズン全国立海後編における《天衣無縫の極みへ、たどり着け》で立石さんが歌う以下のパートは、辛い闘病生活を乗り越えた先でテニスを楽しむリョーマに追い詰められた幸村の苦しみが痛いほどに伝わってきます。

 

暗中模索から答えを導いたな

これは命を懸けた戦い

試合は勝利のためだけにある儀式

勝って勝ち続けてまた勝って

その結果のみが俺の生きる証

 

立石さんがこのシーンで見せる演技力、歌唱力は本当に圧巻で、映像でしか見れなかったことが悔やまれます。もっと早くテニミュに出会って生で観たかった。

 

この記事をフォルダで眠らせている間に氷帝vs立海の新作アニメ情報が公開され、ミュージカル『テニスの王子様』4thシーズンの発表もありました。3rd全立をきっかけにテニプリに出会えてよかった。亡霊にならずに済みそうです。