激ダサDANCEで凍らせて

ハロプロとテニミュとその他雑記。

エヴァを一気見した感想

エヴァシリーズが完結した。エヴァンゲリオンサブカルやおたく文化に触れている人間なら観ていて当たり前の基礎教養にあたるものなのになんとなく敷居が高くて観てこなかったのだが、先日完結作のシン・エヴァンゲリオンがアマプラで配信開始され、いい機会なのでTV版からシンエヴァまで一気に観た。

基礎教養というのは別にエヴァのマニアックな知識や解釈を人と語り合いたいと思って言ったのではない。ただ、この世のアニメや漫画にはエヴァの影響を受けたものが多すぎるし、エヴァを知ってるのと知らないのとでは受け取れるものが違うんだろうなとエヴァを知らないなりに感じていた。そういう意味でサブカルにおけるエヴァハイカルチャーにおける源氏物語シェイクスピア的な作品である。

実際エヴァを観ていると、今まで自分が観たり読んだりしてきたあの作品のこの部分ってエヴァのオマージュだったんだなと気づく場面がたくさんあって面白かった。たとえば『3月のライオン』の香子の零に対する態度はたぶんエヴァのアスカを意識して描かれたものだし、PSYCHO-PASSシリーズの残酷な場面で場違いなクラシック音楽が流れる演出もたぶんエヴァの影響を受けているのだと思う。

エヴァ自身も昔の特撮やキリスト教など色々な要素の影響を受けてつくられたものなので(私はキリスト教の知識は多少あっても特撮の知識は全くないのでどこがどう特撮なのかは他人の解説を読まないとわからないが)、エヴァを観る中で他の文化との繋がりを見出して楽しむ部分がかなりあった。

 

肝心の作品自体の話をすると、散々難解と言われているので覚悟はしていたが予想以上によくわからない作品だった。壮大な音楽をバックにエヴァが大暴れしていたりオペレーターが大慌てで難しそうなことを叫んでいたり美少女や美少年が綺麗な声で意味深なことを言っていたりすると意味もわからずいいな〜と思うので楽しく一気見したが、きちんと作品の意味を理解して観ていたわけではない。

一般に難解と言われているアニメ作品でも、幾原作品やジブリ作品はネット上に転がっている解説や元ネタを読めばかなりわかるようになるが、エヴァは解説すら全然理解できないので難解さが頭ひとつ抜けている。

まず作中の用語が意味不明なのでそこから勉強するか……と思ったがわからない用語を説明する用語が意味不明だったのですぐに諦めた。

ゲンドウは過去作のシンジと違い「全てが一つになった世界」を望み、実行し「ゴルゴダオブジェクト」に存在していた「エヴァンゲリオンイマジナリー」に到達。「エヴァンゲリオンイマジナリー」は「ロンギヌスの槍」と「カシウスの槍」を取り込んだことで現実世界へと現出。虚構と現実を等しくするために、生命のコモディティ化エヴァインフィニティー津波と光の十字架が地球を覆う。

以上はpixiv百科事典の「アディショナルインパクト」の項目を一部引用したものだ。

一目見た瞬間に百科事典の説明としておしまいすぎると思ったが、書き手の文章力や私の読解力以前にそもそもの話が複雑すぎてこうとしか書けないしこうとしか読めないのだと思う。

もちろんここに出てきた用語を一個一個理解すればアディショナルインパクトの意味もある程度理解できるのだと思うが、そこまでする気力を失わせるほどにわからないことが多い。

以前「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」という庵野監督の発言が話題になった時、私は庵野監督の代表作であるエヴァを観たことがないにもかかわらず1から10までわかりやすく明示された物語を次々と消化してしまう風潮を冷笑気味に見ていた。だがエヴァを観た後、これほど難解な作品を理解して自分なりの解釈を打ち立てる気力や体力は自分も持っていないのだということに気づいて悲しくなった。確かにここまで謎に包まれていたら喜べない。

 

私がエヴァを観てて好きだと思ったシーンは、TV版の中盤でシンジとアスカがラブコメしてたり(エヴァは哲学的な鬱アニメという先入観があったのでアスカがシンジに「エッチチカンヘンタイ!」って叫ぶシーンはかなり予想外だった)、破でシンジがレイにお味噌汁を飲ませてあげたり、Qでシンジとカヲルがピアノを連弾してたりする普通の少年少女の生活と感情を描いたシーンだった。

エヴァの哲学的なメッセージよりも、暗く絶望的な環境の中でシンジが周囲の人たちと交流して様々な感情を獲得していく物語の方が興味を持てたし、何より綺麗だと感じた。

それで途中までボーイミーツガール、あるいはボーイミーツボーイの物語としてエヴァを楽しんでいたのだが、新劇場版の後半になるとレイはシンジの母親であるユイと、カヲルはシンジの父親であるゲンドウと表裏一体の存在としてシンジに接していることが見えてくるので単純な青春物語的な楽しみ方をしてしまっていた分じわじわと気持ち悪さに襲われた。

レイやカヲルがシンジに向けた愛情は歪んだ母性と父性だったと気づいた時、言いようのない不気味さを感じる。

こういうのがエヴァファンの言う「エヴァ」っぽさなのかもしれない。アニメで描かれた感情を素直に受け取ってしまうと後々裏切られるという一種の悪趣味さが。

 

エヴァはあまりにも有名な作品なので、いかにもオタクが喜びそうな美少女として設定されたキャラクターの表層部分だけ視聴前から知った気になってしまっていた。どうせアスカは紋切り型のツンデレの元祖でレイも紋切り型のクーデレの元祖なんだろうという先入観があった。

しかしきちんと最初から最後まで通してアニメを観ると、彼女たちが何に傷つき、何に執着し、何に希望を見出すのかということがかなり丁寧に描写されているのでリアルな人間像として魅力的に感じる。

そしてこの作品では自己と他者を隔てる境界であるATフィールドや、人と人との境界を取り払い人類をひとつの単体へと進化させる人類補完計画が重要なキーワードとして出てきており、自己と他者の境界というテーマが至る所で提示されている。

エヴァンゲリオンという作品は作中で起きている出来事に関する描写は難解だが、人が自分の欲望を他者に押し付けたり、親との愛着を形成できなかった子供が思春期や大人になっても他者との関係を上手く築けなかったりという人と人との歪な関係に関しては比較的わかりやすく描写しているのでキャラクターの内面や関係性に魅力を見出しやすい。

キャラの魅力に関してもっと俗物的なことを言ってしまえばたぶん男オタクはシンジが女の子と同居してラッキースケベを連発するシーンに最初は目がいくと思うし女オタクはカヲルがミステリアスなことを言いながらかっこよく座っているシーンに目がいくと思う。

哲学的なメッセージの全体像が全然わからなくてもエッチな美少女やエッチな美少年の外面でオタクの心を捉えて、あれ…?自分も思春期の少年少女が抱えたこの鬱屈した内面が少しわかるかもしれない、と思わせ、よくわからないまま最後まで夢中で観させてしまうエヴァはズルいと思ったし、最初はみんな美少女と美少年の悲しい運命に惹かれてエヴァを好きになったのだろう。

そこから深く作品世界を解釈していく楽しみもあれば、描かれたキャラクターの感情をそのまま受け入れる楽しみもある。

 

私はカヲルくんが死を選び、シンジとレイとアスカが荒廃した大地を歩いていくエヴァQのラストシーンが意味もわからずずっと好きだと思います。

なんか、石田彰の声が綺麗だし絵もそれっぽくてかっこいいので……

 

テニミュ4th不動峰

私は疫病神なので、私が新たに参入した現場では必ず古参が怒り狂っている。

ハロプロにハマりはじめた時はスマイレージの改名やクールハローのゴリ押しで古参が怒り狂っていたし、テニミュを好きになって1年、ようやく生の青学を観れると思ったら4thシーズンの演出改変に古参が怒り狂っていた。

ちなみに、同じく20年以上続いているコンテンツの革命で怒り狂うことには自分も身に覚えがあって、ポケモンがドット絵から3Dに変わった時は割とブチ切れていた記憶がある。

こうして見ると古参のオタクってちょっと洗練されてなくて手作り感があってアナログなものに愛着を感じるあまり狂ってしまうんだなとしみじみしてしまう。

というわけで、別に怒り狂ってはいないおたく(1年ちょっと前にテニミュにハマった。1st~3rdのテニミュは円盤と配信で7割ほど視聴済み。生の観劇は新テニミュと4th不動峰のみ)の4th不動峰感想です。狂ってはいないしすごく楽しく観劇してきたけど否定的な感想もあります。

 4th不動峰公演は生の観劇を初見にしたかったので大阪公演を観に行くまで配信は観ず、特にネタバレを避けることもしなかったので嵐のような賛否両論が視界に入り、正直かなり怖かった。曲や演出の良し悪しはともかく、セットが邪魔等の意見はマイナスにしかなり得ない情報だったし、私はテニミュの泥臭さが好きだったので作り込みすぎている舞台にハマれるか不安だった。

実際観てみると、世界観は少し苦手だけど斬新な演出はかなり楽しかったという感想を持った。

演出の変化とベンチ

テニミュの演出は、1st~3rdが「能」だとすれば4thは「クラシックバレエ」。それくらい別物だった。

一番その違いを感じたのは舞台装置とベンチの在り方で、1st~3rdの舞台には大掛かりなセットも背景もなく、ただネットオブジェがあるのみで、鏡板の松しかない空間ですべてのシーンが演じられる能に近い。試合をしていない選手はお揃いのジャージで舞台の横に並んで歌っていたりして、地謡っぽさもあった*1

一方で4thの舞台装置は登場人物が出入りする扉付きの壁が両サイドにあり、状況に応じた背景があり、試合に出ていない選手は衣装も姿勢もバラバラで、数か所に配置されたベンチに座っていたり、その間に立っていたりする。バレエを観たことがある人なら、4thのベンチの配置を見た時すぐにバレエの舞台っぽさを感じたと思う。

1st~3rdの装置と演出は抽象性が高いため観客の想像に委ねられる部分が多く、ベンチの選手が「演劇の進行の為に並んでいる感」が強い。それに対して4thは、具体性が高いため観客が情景を想像しなくてはならない部分が少なく、ベンチの選手が「試合を見守るキャラクターとしてより自然に振舞っている感」が強い。

どちらが良いかは完全に好みの問題だと思うが、ベンチに関して言えば私は4thの方がキャラクターが生き生きしているように見えて好きだった。従来のようにベンチに部員が密集していないのでベンチワークのやりとりの面白さは若干薄れているかもしれないが、個人個人が主体性を持ってウロウロしているのがリアルだと感じた。部員が全員そろって観客席に並んでいるというのは本来ならばあり得ないことで、実際の彼らはアップをしに行ったり先輩に用事を言いつけられたりでベンチを離れたり、誰かに話しかけに行ったりという動きをするはずである。今回の公演では試合が面白い展開になると扉からひょこっと顔を出す部員がいたり、逆に桃城とリョーマがしょうもないダブルスをしていると海堂がしょーもな…という呆れ顔でベンチを立って扉の向こうへ行ってしまったり、新しい舞台装置によって人の流れの自然さが格段に良くなったと思う。

ベンチのキャラクターの配置も巧みだ。2幕の不動峰戦では舞台上にハの字に左右三つずつベンチが並べられ、上手に青学、下手に不動峰が座っている。部員が少なく、橘をリーダーとして2年生が横並びになっている不動峰は奥のベンチを荷物置きにして中央と手前のベンチ付近に全員が固まっているのに対して、青学側は舞台最奥に手塚、その隣に不二が座り、扉付近からはレギュラー外の選手がひょこひょこと顔を出して試合の様子を伺い、手前のベンチにはゴールデンペアか桃城・リョーマペアが座っている。

部員の配置が両校の性質を対比させているのが第一の巧さで、第二の巧さとして青学側のベンチは部員の立場の違いを視覚的に示している。高い視座から試合を見る手塚・不二を奥に座らせ、客席に最も近いベンチに観客が感情移入しやすいキャラクターを配置し*2、青学ベンチと客席との境界をうまくぼかすことによって観客が試合に没入しやすいようになっている。

舞台装置邪魔論争

私は今回の壁とベンチの舞台セットはキャラクターの動きが自由になったように感じられるので好意的に見ているのだが、実はあの壁はキャラクターを隠してしまうのでオタクから袋叩きにされている。半透明のネットも同様だ。今回、主な舞台大道具として扉とベンチが付属した壁、三角定規みたいなネット、三角定規ネットの奥に隠せる一回り小さい同型の台、自動回転式ネットがある。壁とネットは半透明なものになっており、映像を投影できる仕様になっているので奥にいるキャストが見えづらくなっている。私もネットに関しては視界が遮られて邪魔だと感じたが(特に自動回転式ネットはキャストの見えやすさを犠牲にしてまで写す必要がないものばかり映っているように感じた)、壁はむしろあれでいいと思った。前述したように出ハケが幕袖より自然に感じられるのと、人物が半分見えないことを利用した演出が面白かったからだ。

特に遠征に出かけていた青学レギュラーが登場するシーンは、人物は識別できるものの表情等は壁に遮られて見えず、テニミュボーイズが演じる部員とは格が違う存在としてのレギュラーメンバーを新入生の視点で見せているのでかなり壁が効果的に用いられていると感じた。1幕のラストで不動峰が歌い終わったシーンも壁に隠された部員がだんだん暗転していき、幕切れとして良い演出だった。

今回の舞台装置がここまで叩かれているのは、不動峰公演がこの装置を十分に活かしきれる派手な公演ではないからではないかと思う。私は3rdまでのダサカッコよくて素朴な演出が好きだったが、跡部や三強がただの直方体のお立ち台に乗っているのは悪い意味でのダサさだと思っていたので、4thの大掛かりな装置は跡部みたいな派手なキャラクターや仁王・柳生ペアやラブルスのようなパフォーマンス性の高い試合をするキャラクターが登場した時に化ける気がしている。

今までの1st~3rdは安定した演出とキャストの成長を見て楽しむものだったはずなのに、4thは熟練したキャストと発展途上の演出の行く末を楽しみにしてしまっている。

空と季節の演出

もう一つ大きく変わった演出が、空の背景が映し出されて天候、季節、時刻が可視化され、映像エフェクトも追加されたこと。空は別にあってもなくてもいいかなという感想なのだが*3、試合のエフェクトはかなり良かった気がする。センブロでしか観ていないのでエフェクトのズレなど欠点が見えていないせいもあると思うが、阿吽の呼吸の演出などは全体を通しても特に楽しく感じたシーンだ。乾の試合もデータテニスと映像投影の相性の良さを感じた。

だが季節や時間の経過を示す映像演出は、演出家の描く青春のイメージを押し付けられているように感じてしまう部分もあった。

今回の公演は青学3年生の卒業式から始まり、過去回想としての性格が強い。4thシーズンからは新テニミュの時間軸と並行しており、キャストも一部共通しているのでそうしないと辻褄があわなくなってしまうのだが、過去形で物語が語られたことによりシーズン最初の公演としてのフレッシュさが失われてしまった。それを補うようにして投入されたのが「青春」というワードの多用であり、空模様によって時間の経過を表す演出だった。しかしこの演出はどうしても演出家という大人の意図が過剰に反映されてしまう。青学の中学生たちは今現在を必死に生きる存在であり、今の自分たちが(大人の冷静さと対照的なものとして存在する)青春を過ごしていることは認識していないはずなのに、空の青さや夕焼けを懐古しているように見えてしまうのだ。

冒頭のテーマ曲の序盤に投影される桜吹雪ははじまりの季節を表し、そして曲の後半で打ち上げられる花火は夏の全国大会優勝という結末や青春の一瞬の輝きを示すメタファーである。

オープニングはリョーマが日本を発つ飛行機の音から始まり、そこから手塚達が卒業する春→全国大会で青学が優勝し、不動峰が敗退した夏(テーマ曲部分)→リョーマ入学の春という逆戻しでシーンが展開する。テーマ曲が終わってからリョーマが電車に乗るシーンの間に空の映像が高速で移り変わり、時間の巻き戻しを示しているので、あのテーマ曲は「全国優勝を目指す曲」ではなく「全国大会を終えた選手達が今までの道のりを振り返る曲」なのではないかと私は解釈している。

青学の勝利が絶対に覆らないことは演者も観客もわかっていて、それでも

勝負とは予測の付かない未来
笑顔になるか涙になるか誰にも分からない

でも勝ち負けの行方は
必ず変えることが出来る

 って何年も、何公演も言い聞かせるように歌い続けるのがテニミュの良さだったと思う。

結末がわかっていたとしても、幕が開くたび毎回盲目的に未来へと進んでいくのがテニミュの美学だと思っていたので、花火という夏の栄光のメタファーで最初に結末を予感させてしまうのがなんだかなあという印象だった*4

三浦さんが見せたかったものは、演者と役が結びついて成長する部活的なテニミュではなく、役者がある時点のキャラクターを演じる演劇としてのテニミュだったように感じた。

ただ、季節と時間の流れを強調する演出が全部失敗だったとは思っていなくて、リョーマが最初に部内でその才能の片鱗を見せた時、大石が「春風が連れてきた」と歌うのはすごく良かった。これも感傷的で懐古的な歌詞であることに違いはないんだけど、ちょうど「春風が連れてきた」の歌詞のところで手塚が坂から降りてくるように舞台に登場するのが上手いと思った。つまり、ここでリョーマは大石の視点から手塚の再来として語られていて、リョーマと手塚の才能が部内で特別なものであること、その才能は青学の中には納まらずいずれ海外へ飛び立ってしまうことが桜吹雪の神聖さや儚さと重ね合わされて示唆されている。この演出がテニミュに相応しいのかは微妙だが、個人的にはとても好きだ。

音楽について

私はYuさんが作るメロディが好きだったので今回もかなり新曲が楽しみだったのだが、正直テニミュに合っているのか疑問なものもあった。端的に言うと、ミュージカルではなくアニソンかJ-POPの挿入歌に聴こえる箇所が多々あった。これに関しては曲そのものというより曲入りのタイミングの違和感が大きいと思う。

空模様を投影した演出のせいもあって、「君の名は。」の劇中にRADWIMPSの挿入歌が流れ始めた感覚を思い出した。たぶん、三浦さんの「青春」を強調した演出と化学反応を起こした結果過剰な爽やかさという矛盾したテイストに仕上がってしまったのだと思う。特にゴールデンペアの曲は挿入歌っぽさが強い。過去公演の曲がアップテンポな良曲だっただけにもさっとした印象があり、2人の素直な感情がいまいち伝わってこなかった。

だが、何回も聴きたいと思えるくらい好きな曲もたくさんあった。お披露目で聴いた1曲目のテーマ曲は爽快感と壮大さのバランスが最高で、良い意味でJ-POP的なテーマソングとしての良さがあった。2曲目の青学テーマ曲は歌詞が粋だと思う。

Be the change 

Do Your Best

Stay the course

強くあれ

 この箇所は青学のことだけではなく、テニミュ自体のことを歌っていると感じた。"Be the change" は『テニプリパーティー』での上島先生の「流れない水は腐る」「常に新しい人が入ってくる余地を作らなきゃいけない」という言葉を想起させ、新しい挑戦へと向かう4thシーズンの決意を感じさせる(皮肉なことに、4thの新しい演出が叩かれすぎたことによってこの曲に込められた不屈の精神みたいなものが映えてしまっている)。対照的に"Do Your Best"は前シーズンまでの伝統の継承を示し、革新と伝統が"Stay the course"(あきらめない)と「強くあれ」というテニミュの根幹に帰結する構造が見事だと思った。サビの"Force of Gravity"もカタカナ英語で4thとの掛詞になっており、4thシーズン最初の青学校歌として印象的だ。

バラード曲は 大石や手塚のソロや最後の曲などどれもメロディが綺麗で、キャストの歌唱力を存分に味わえて良かった。

リズムや音ハメが楽しくて、ミュージカルらしい良さがあったのは、桃城リョーマペアの和風な「阿吽」のBGMと2幕のラブ!フィフティーン!サーティ!フォーティ―!の曲。ゲームカウントを歌詞に入れるのは今までありそうで無かった発想だったし、2幕最初のインパクト大のこの曲をS3でもリプライズとして出してくれるのが嬉しかった。この曲は一番テニミュを生で観るドキドキを感じさせてくれるし、今回一番好きな曲になった。

不動峰校歌の曲調も学校のカラーが出ていてよかった。畳みかけるような力強いリズムも不動峰らしさをよく表していると思う。

ただ不動峰校歌のサビにはめちゃくちゃ文句を言いたいことがあって、三ツ矢先生に甘やかされたテニモンが突然"Hang in there"なんて聴かされて聞き取れるわけがないということをわかってほしい*5テニミュの歌詞なら"Hang in there wow wow"じゃなくて、"Hang in there くじけるな"であるべきだ。

今までのテニミュの歌詞は「俺の24時間トゥエンティ―フォ―」とか「ディタミネーショントゥーウィンそれは勝利への決意」とか「決められた結末だそう変えられないラスト」とか、簡単なカタカナ英語を言った上で更に日本語で同じことを歌っていた。小泉進次郎もびっくりのトートロジーだが、実際に聞くとこれくらいの情報量の方がキャラクターの演技や感情に集中できる。

今回の公演は簡単な歌詞の繰り返しが少なく、J-POP的な歌詞の作り方をしているので歌詞がスッと入ってこないストレスを強く感じる。これはミュージカルとして重大な欠陥であり、テニミュがキャラクターの試合を見せるものである以上、技巧を凝らした味わい深い歌詞である前に一発でわかる歌詞であるべきである。

 あとやっぱり過去曲は伝統として半分くらい残してほしかった。昔の曲をどうアレンジして、新たな解釈を与えて歌い継いでいくかというところもテニミュの面白さだと思うので*6

南次郎と井上の存在

中河内さんが演じた仁王がとにかく好きなので、今回は半分くらいOBの中河内さん目当てで来た。私が越前南次郎が苦手な話は前にしたので繰り返さないが、今回の公演ではあまりにも南次郎の汚さが漂白されていて、それでいいのか?と思ってしまった。私は推し俳優にセクハラおじさんを演じてほしくないので好都合だが、いいかげんだけど強くて優しい無害な父親として描かれた南次郎には拍子抜けした。

青春を美化したものとして演出しようとする姿勢に微妙な反感を持っていたが、思わぬところで救われた形になる。この公演では原作で煙草を吸っていた南次郎は煙草を吸わず、明確な悪役として描かれる不動峰の顧問は煙草を吸っている。ここからも煙草を悪サイドの小道具とみなして、意図的に南次郎を善サイドの人間として漂白しようとした演出意図が透けている。

ラストのシーンで、南次郎がリョーマの前に立ちはだかる構図はすごく良かった。4th不動峰公演は、舞台奥の高い位置に南次郎と手塚が立ちはだかり、2人を見上げたリョーマが「もっと強くなりたい」と叫んで幕が下りる。せっかく中河内さんと山田さんという歌唱力のあるキャストが立ちはだかっているのだから、一曲歌って終わってほしかった。それがあれば完璧な終わり方だった。今回疾走感や爽快感に欠ける後味が残るのは、ここでぬるっと幕が下りるせいでもあると思う。

 南次郎に加えて、今回は井上の出番もあり、大人の存在が強調されていた。南次郎を取材に来た井上が「私も学生の頃(テニスを)バリバリやってて」と言うシーンはキャラクターとかつて橘と仁王を演じた演者との二重写しになっていて、ハッとさせられた。演者の過去の役に色々な意味を含ませているのがテニミュを観ていて楽しいことのひとつだと思う。

それだけに北代さんに不動峰のクズ顧問を演じさせたのは許し難かった。過去に橘役として不動峰を率いていた北代さんに不動峰の2年生を傷つける役を演じさせたのは、今までのテニミュは役者とキャラクターが不可分なものであって、通常の演劇とは異質なものであることを理解していれば絶対にできないことである。

スミレがいなくても舞台は成り立っているのにただ北代さんがちょうどいたからという理由で考えなしに不動峰の顧問を出したのだとしたら軽率すぎて呆れるが、2ndの謙也に3rdでオサムを任せるノリでキャスティングしていたのだとしたら発想がサイコパス過ぎて面白いのでむしろそうであってほしい。

気になったキャラクターなど

今回は新テニミュからの続投キャストも多く、全体的に歌唱やダンスのレベルが高かった。シーズン最初の公演なのに隙が無く、ちょっとした立ち振る舞いや声の調子からキャラクターの人間性が見えたので本当に全員魅力的だった。

その中でも特に南次郎と不二と手塚が好きになった。

・南次郎

中河内さんのダンスが大好きなので、南次郎がラケットを持って踊るシーンがあってすごく嬉しかった。南次郎は袴衣装なので跳んだり回ったりするのだろうかと思っていたが、半袖短パンで仁王を演じていた時と変わらないくらい激しく踊っている。

踊っていてもラケットを振っていても衣装がまったく邪魔そうに見えず、回っている時の着物の裾の翻りも綺麗だし、ジャンプして空中で脚を入れ替えた時に袴がバサッとさばかれるのもかっこよかった。

脚本も中河内さんの存在感も、原作やこれまでのテニミュのみっともない南次郎からあまりにかけ離れていると思った。南次郎がバレエ的なダンスを踊ると、一気に伝説のテニスプレイヤーとしての側面が強調される。

今までのテニミュではお立ち台の上でラケットを振るのは跡部や真田などリョーマより格上の特別なキャラクターだけだったが、今回の公演では南次郎とラストの手塚だけが台の上からリョーマを見下ろす。まだ圧倒的な強敵が出てこない不動峰公演で俗っぽさとは離れた中河内さんが南次郎を演じたのは、舞台に緊張感を与えるのに一役買っていたと思う。

・不二

元々青学の中で一番好きなキャラクターが不二なのでやっぱり目がいく。テニミュの不二は古川さんのような儚い不二、三津谷さんのようなミステリアスな不二、矢田さんや神里さんの百腕巨人の門番を召喚できそうな不二などその代によってかなりブレるが、持田さんは定本さんに近い可愛い系の不二だと思う。

不二は青学の中でもアニメキャラっぽいというか、現実の3次元世界にいると不自然になりがちなキャラクターだが、持田さんは不二らしさを守りながらも中性的な佇まいや話し方を誇張することなく自然に演じていたので上手いと思った。演技以前に少年のように綺麗な声質そのものがとても不二のイメージに合っていて、台詞や歌声が違和感なく心地よく響いてくる。

手塚にちょっかいをかけた九鬼を見る目つきが怖くて綺麗なので、毎回見逃さないように双眼鏡を持ってスタンバイしている。鋭く睨んでいるわけでもないのに怖くて綺麗というところに不二先輩の魅力が詰まっていると思った。

・手塚

山田さんの手塚は新テニミュでの大和の後輩としての立ち振る舞いや若々しい歌声の印象が強かったので、今回威厳ある部長の姿を演じていて表現力の幅を感じた。11代目は全体的にみんな歌が上手いが、その中でもずば抜けて良く響くし、音の取り方も毎回正確。

山田さんは歌だけでなくダンスも上手だった。毎回きっちり大きく踊っていて、集団の中でも目を引く。7代目手塚の多和田さんが「手塚の役だからあんまりノリ良く踊らないで」と注意されたエピソードを聞いたことがある気がするので、手塚は上手く踊りすぎてはいけないのかと思っていた。今回は振り付けも複雑で、ラケットの操作もバリエーションに富んでいるので観ていて楽しい。真顔でめちゃくちゃ上手いダンスを踊る手塚は新鮮でかっこよかった。

おわりに

演出と音楽に改善してほしい点はあったが、総合的に見ればすごく楽しかった。

ショー的なテニミュとして楽しかったのは新テニミュや(映像でしか観ていないので比較しづらいが)1st~3rdの方だが、キャラクターの実在をより強く感じることができたのは原作を丁寧になぞった4th不動峰公演の方だった。

音楽や試合で観客を楽しませるショー的な要素が減り、物語性や演劇性が高くなったことを単純な良し悪しで語ることができないが、舞台上に見られる客体としてのキャラクターがいるのではなく、自由な主体としてのキャラクターが目の前に生きているという感動をより強く与えたことは新演出の功績であると感じた。

みんながキラキラしてかっこよくて、これ毎日思ってるけどテニミュって楽しいなって思った。まだチケット持ってるのでまた観に行きます。

*1:実は今までも全立の《赤いデビル》を観るたびに、前シテが人の赤也で後シテが悪魔の赤也、地謡方が立海の6人だなとなんとなく思っていた

*2:リョーマは感情移入しやすいキャラではないかもしれないが、桃城といるのがミソだと思う

*3:青学が青空で不動峰の不遇時代は曇り空、みたいなのは観客の想像力を潰している説明過多な演出にも思えるけど、試合後の夕暮れは雰囲気が出て良かったかも。雨のエフェクトは実際の水をキャストにぶっかけていた1st氷帝公演を思うとあってよかった映像演出だよね

*4:桜吹雪や花火それ自体は舞台を観ている臨場感を感じられてすごくわくわくする演出だったので、単純に舞台のオープニングとして見ればすごく好き

*5:私は何回聴いてもまったく聞き取れなかったので「不動峰 歌詞」でTwitter検索をかけてようやく理解した

*6:1st~3rdのトンチキ曲が全部封印されて4thでお洒落な曲に一新されていたの、私はアンジュルムのおたくだから我慢できたけどアンジュルムのおたくじゃなかったら我慢できてなかった。悲しいことに私はハロオタなので新しいクリエイターが過去のダサカッコよさやトンチキを模倣しようとしてもクソ滑りすることも知っている

文乃ちゃんお誕生日&マグロ解体師合格おめでとう

オタクあるある動画でおなじみの末吉9太郎さんのネタに、「推しがTV出演したわけでもないのにTwitterトレンド入りしていたら詰む」というものがある。

TVで多くの一般人の目に触れたわけでもないのにトレンド入りしているというのは、およそ熱愛発覚、不祥事発覚などろくでもない事件が起きたか脱退が発表されたせいであり、新参、中堅、古参とオタク歴が長くなるにつれてトレンド入りに恐怖を感じる女オタク達のモノマネがリアルだなあと感心して見ていた。

私の推し・川村文乃さんは不祥事という言葉とは無縁の安心安全アイドルなのでろくでもないトレンド入りを果たす心配は全くしていなかったのだが、今年の誕生日に更新されたブログが卒業や新しい進路を仄めかしているようにも取れる内容だったので、その点に関してはちょっと怯えていた。

文乃ちゃんがtwitterトレンド入りしたのは彼女のお誕生日から3日後、7月10日のことだった。幸い私はトレンド入りの前に公式発表で「事件」の内容を知ることができたのでオタクあるある動画の中堅オタクのごとく大慌てする羽目にはならなかったが、まさか推しが1級マグロ解体師になってトレンド入りするとは思わなかった。

3日前の文乃ちゃんのブログで、周りのメンバーが卒業していく中で自分は変われているのか考えたこと、色んなことに挑戦したいこと、いつかアンジュルムでの活動を振り返りたいことなどの内容から卒業の空気を感じていたのは杞憂だったし、「その時が来たら た~~~~~~~~~~くさん 驚いてくださいね笑」の「その時」が1級マグロ解体師試験合格だったのは予想の斜め上すぎて拍子抜けしたしすごく嬉しかった。

その後の名古屋イベの時のブログでは来年のバーイベもお楽しみにと言ってくれてたので、卒業に関してはしばらく安心できそうだ。

 

タイミング的に、今年の文乃ちゃんのバースデーイベントはマグロ解体ショーなのでは?とオタクの間で話題になった。

バーイベはスケジュールの都合で遠征する余裕がなく、配信で観ることになったが、オタクの予想通り第1部はマグロ解体ショーからはじまり、魚関連の楽曲が続いた。

(バーイベとほぼ同じ流れの解体ショーがOMAKE CHANNELで見れます)

www.youtube.com

普段は女の子らしくて可愛い文乃ちゃんが包丁を持って勇ましく大声を出してる姿はすごくかっこいいし、小さい頃から続けてきたおさかな関係の仕事に愛着を持って新しいチャレンジを続けていく文乃ちゃんの姿勢もかっこいい。

文乃ちゃんは1人喋りする時に「は〜い」で間を持たせる癖がある。解体ショーの時にも大声の「は〜い!!」が出てくるのが偶然にもそれっぽくなってて可愛いなと思った。

文乃ちゃんが配信勢にも気を遣ってカメラの前にマグロを持ってきてくれたこともあって、見てるだけですごく楽しかったけど、やっぱり観客側も声を出して盛り上がれるようになった時にまた解体ショーをしてくれるのが楽しみ。

会場でエアまぐろ試食会をやって「みなさんマスクしたままでマグロを思い浮かべて、もぐもぐしてください!パクっ!モグモグモグ!美味しいですね〜」って言ってる文乃ちゃん、ディストピアみたいな怖いこと言ってるのに超可愛くて困った。

 

解体ショー後のライブは、おさかな中心のセトリ。
《恋する!さかなへん》では自作したフリップを捲りながらさかなへんの漢字を紹介しつつ歌ってくれた。フリップ芸を見ると、文乃ちゃんの先輩のむろを思い出す。むろもバーイベのたびに歌詞のストーリーの紙芝居を自作して捲りながら歌ってくれていた。

何年か前にむろのバーイベを観に行ったら会場の後ろで文乃ちゃんが見学していたのを見つけたことがあるので、先輩の紙芝居の継承だったら嬉しいなと思う。

むろと文乃ちゃんって一見正反対に見えるけど一緒に遠出したり仲が良いみたいで、オタク側から見ても生粋のエンターテイナーであるという点で2人の根っこはすごく似ているように感じる。自分が全力で楽しむことで人も楽しませようとするアイドルが一番推してて幸せだと思います。

《恋する!さかなへん》は初めて聴いた曲だったが、序盤の歌詞の「秋、カジカむてをあたため 冬、コノシロいいきをかさね」の巧さと抒情性に感動していたら終盤の「若いワカサギ 皮いいカワハギ」「蛍の光 わが師のブリ」が投げやりすぎて笑ってしまった。でもメロディも綺麗だし、ふざけてるところと巧く意味が通ってるところのバランスが絶妙で好き。雑煮みたいに話題にならなかったのが意外な良曲で、今回知れて良かった。


アンジュ曲の《Uraha=Lover》と《泳げないMermaid》は常々文乃ちゃんのソロが光っている曲だと思っていたので、曲全体を通してソロ歌唱を聴けて嬉しかった。

文乃ちゃん自身も前半の賑やかなおさかなタイムから雰囲気を変えたくて自分に似合う切なげな曲を選んだのかと思って聴いていたら、これも「お互い様の嘘を 神様は裁けない」の歌詞や「泳げない」という曲タイトルに絡めて選曲したらしい。おさかなタイム、まだ続いてました。

文乃ちゃんのバーイベは毎回言葉遊び的な選曲をしたり、何かしらテーマを決めてストーリー性をもたせたセトリの組み方をしているので、選曲理由について書いたブログを読むと2倍楽しめる。今回のセトリは《もしも...》の「おやすみなさい」のラストから《ビタミンME》冒頭の「忙しい朝」に繋がっているのも面白かった。ミュージカルが好きなオタクなのでそういう背景込みで曲を聴くのが好きです。

賑やかな曲も大人っぽい曲も組み込まれたセトリで、文乃ちゃんの色んな面を見れて良いライブだった。

特に良かったのは《泳げないMermaid》と《ビタミンME》。

《泳げないMermaid》はまず衣装、ヘアメイク、歌声、曲の雰囲気が全部調和してて素敵だった。ダンスも綺麗で、特に指先の使い方が繊細で表情が見えるのが良かった。

対照的に《ビタミンME》は底抜けに明るい曲で、体力的に大変そうなのに歌いながらずっとジャンプしてて文乃ちゃんの一生懸命なところ好きだなあと思った。

 

いろんなジャンルのダンスやマグロの解体や観光大使や、どんどん新しいことに挑戦してる文乃ちゃんのことが大好きだしこれからも応援したいです。

最後に、文乃ちゃんのブログの引用を。

ameblo.jp

私の願い事は
みなさんが幸せな毎日を過ごしてほしい!

と言う事と

私を好きという気持ちを
Twitterでもインスタでもブログでも
何でも大丈夫やき
文字に残して欲しいです☺️


いつか
何十年後に
アンジュルムで活動していた日を
みなさんに出会えた事を振り返りたいからね

 

このブログはただのTwitterからはみ出した推し事備忘録なのですが、文乃ちゃんに見つかることは多分無いにしても「文乃ちゃんを好き」という気持ちはできるだけ残しておこうと思いました。文乃ちゃんを推していて楽しかったこと、幸せだったことを自分で振り返るためにも。

文乃ちゃんお誕生日おめでとう。

きらきらしちゅう22歳になりますように!

 

宙組シャーロック・ホームズ/Delicieux!

宝塚歌劇団宙組シャーロック・ホームズ/Delicieux!を観てきました。

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シャーロック・ホームズ

私はシャーロック・ホームズの原作を一切読んだことがなく、19世紀イギリスに関する知識が『黒執事』から得た知識しかなかったのですが、まったく問題なく楽しめました。オタクで良かったです。

宝塚版シャーロック・ホームズは犯行シーンからお芝居が始まるので私のような推理小説に慣れていない人間でもストーリーが追えるようになっており、公式HPの作品解説にも記されている通り推理よりもホームズ周辺の人間関係の方がメインに据えられています。

新参なりに最近気づいたのですが、宝塚のお話って何を題材にしても男性主人公とその恋人、ライバル、男友達との関係性に焦点を当てた脚本になるんですね。公演ポスターも男性2人と女性1人がメインになっているのが綺麗な様式美だと思います。

トップコンビのホームズとアイリーンはとても華があって、破天荒でキザっぽい男性とファムファタール的な女性の恋愛はこれぞ宝塚というエッセンスを見せてもらっている気持ちになりました。お二人とも自信に満ちた表情と苦しみを抱えた表情のギャップを見せるのが上手で、特に目の演技が素晴らしかったです。

始めて観劇した時は宝塚のメイクはちょっと没個性的だなと思っていましたが(単に私が人の顔覚えられないというのもある)、宝塚メイクは流し目や伏し目、誰かを見つめたり睨みつけたりする表情がはっきりわかるので、少し慣れてくると逆にジェンヌさんの個性が明確に感じられるような気がします。

作中に登場するもう一組のカップル、ワトスンとメアリーはトップコンビとは対照的に穏やかで愛情深いカップルとして描かれていて、ワトスンのスマートさとメアリーの可愛らしさに癒されました。メアリーのワトスンに向けた笑顔や傷ついたアイリーンに声を掛ける優しい表情はすごく印象に残っています。

 

敵サイドは、魅力的な悪役モリアーティに4人の個性豊かな幹部がゲームのラスボスと四天王みたいで、オタクが喜びそうな布陣で来るじゃないの…と思いました。1+4の布陣は並んだ時の絵面が強そうだし、ダンスのフォーメーションも舞台映えするのでかっこよかったです。

四天王(?)の一人であるフレッドはただでさえ最初から襟足が長くて眼鏡をかけた暗号解読の天才という女オタクの好きな要素欲張りセットだったのに途中でホームズ側のスパイということが発覚して、ここまで「要素」を詰められると術中にハマったみたいで悔しいなと思いましたが、一目見た瞬間から好きすぎて双眼鏡でずっとストーカーしてしまいました。

 

全体的な感想を言うと、コメディシーンとシリアスシーン、恋愛シーンと日常シーンがバランスよく構成されているのでミュージカルとしてすごく楽しかったです。

個人的に今まで男役さんがフロックコートや和服を着ている時代のお芝居しか見たことがなく、スーツ姿の男役さんがたくさん出てくるお芝居は初めてだったので、宝塚特有のダンディなスーツの着こなしや男性的な仕草を堪能できたのも良かったです。女性をエスコートする時の立ち振る舞いなど、ときめきを感じました。

室内で拳銃をぶっ放すホームズや新世界の神になろうとしちゃってるモリアーティも、やってることは滅茶苦茶ながらスーツの着こなしや立ち振る舞いは美しく洗練されているのが流石宝塚って感じで、良いです。

 

Delicieux!

宝塚大劇場の公演は前半が休憩なしでお芝居、長めの休憩を挟んで後半に華やかなショーという構成がメンタルに優しいなとつくづく感じています。

私は一般的なミュージカル作品で1幕と2幕の間に休憩が挟まって長蛇のお手洗い列に並ぶと急に現実に引き戻された感があり嫌なのですが(お手洗い行くどころか、客電が付くだけで割と興ざめ)、宝塚はお芝居がブツ切れになって休憩が入ることがないので世界観に浸りやすいです。そして後半にハッピーなショーがあると前半のお芝居が完全なハッピーエンドでなくても超ハッピーな感じで帰路に就けます。

今回、お芝居のラストでホームズとアイリーンは愛情で結ばれたものの、ホームズとワトスンの友情は寂しい終わり方をしてしまったので、ホームズ役の真風さんとワトスン役の桜木さんがショーで同じ舞台を踏んでいるのを見ると再会できて良かったね~という気持ちになりました。ショーのテーマは毎回お芝居の内容とは無関係なので、勝手にそう想像しているだけなのですが。

 

Delicieux!は私の少ない宝塚観劇経験の中では一番クセがすごいショーでした。

観客がマカロンのペンライトを振る場面があって、アイドル現場みたいな空気になったり(これ開演前まで存在を知らなかったのですが、みんなあの一曲以外使い道なさそうな特殊な形のペンライト買っててすごい)、お菓子の国のような甘い世界観が続くと思いきや中盤ではコメディシーンや耽美で怪しげな場面が入ってきたり、綺麗にまとまっているというよりはハチャメチャな楽しさがありました。

特にくるみ割り人形メドレーのカンカンはチャイコフスキーの音楽の背後でずっと女の子たちの黄色い笑い声が聞こえるようなアレンジがされていて、振り付けも楽しく、違法薬物を吸わされているのかと思うほど多幸感がありました。

このショーはパリを舞台に色々な時代や文化の音楽や衣装が織り交ぜられているのですが、全体的な印象としてはロココの時代の空気を一番強く感じます。

「マーカーロンで♪筋トレ♪」って歌いながらマカロンダンベルで筋トレしてる貴族とかちょっと正気じゃないと思うんですけど、享楽的でおバカで明るいロココの時代を宝塚風のトンチキで表現していて良いなと思いました(余談ですが、ロココ=お馬鹿っていう私の歴史観は映画版『下妻物語』の影響が大きいです)。

あと、お芝居の前のお披露目で凛とした袴姿で登場した107期生が、ショーでは大きな3段のケーキに乗って登場したのがすっごく可愛かったです。

大人のお姉さんから初々しい女の子まで大人数の舞台で、賑やかで楽しかったです。私もここでしか使い道なさそうなマカロンのペンライト振っておけばよかったかな。

 

長いおまけ 誰かを推したい 

私はヅカオタを名乗れるほど宝塚に熱を上げているわけでもなく、最近ゆるーく好きになりはじめた新参ファンなのですが、未だジェンヌさんの顔と名前を全く覚えられず、推し(宝塚風に言うとご贔屓)ができる気配がありません。

本業の推し事はアイドル舞台と2.5次元舞台なので歌やダンスが上手いジェンヌさんを教えてもらってもみんな異次元に上手く感じてしまい、誰が誰だかわからない状態になっています。

そうは言ってもやっぱりご贔屓ができた方が楽しめるだろうなと思い、舞台で気になった人のお名前をチェックしておこうと思っていたのですが、またもやアイドルと2.5のオタクゆえの壁にぶちあたりました。

"煌びやかなトップコンビもすごく魅力的だけど、キラキラしすぎてないジェンヌさんを推したい問題"です。

今までいろんなジャンルのオタクをやってきた中で、私は主人公やライバルキャラを推したことが一度もなく、準準主役くらいの大人しくて落ち着いたポジションの人を好きになりがちでした。なのでもし宝塚でご贔屓ができるとしたら3~5番手くらいの人を好きになるんだと思います。

でも3~5番手くらいの人ってその人がギラついていないわけじゃなくて役柄的にギラついてないだけなんですよね(最近見た役だと今回のフレッドとワトスン&メアリー、桜嵐記の正時&百合が好きでした)。いずれ順調に出世すれば、控えめな魅力ある役を演じていたジェンヌさんもデカい羽を背負って銀橋を歩くようになるわけです。

このブログ読んでくれてるのはテニモンが多いと思うのでテニミュで例えると、柳蓮二や日吉若役のキャストさんがある日突然ラメまみれの幸村精市跡部景吾になるかもしれないということです(この例えほんとに適切か?)。

もちろん自分のご贔屓がトップへ昇格していくのは無上の喜びだと思うのですが、"陰のオタク"は微妙に困惑しています。

私が普段通っている現場は、アイドル舞台なら基本的に当て書きで脚本が書かれており、2.5次元舞台なら実力の単純な上下でなく本人の内面とキャラクターが合っているかで配役が決まるので、静かなタイプの演者はだいたい舞台でも静かな役を演じることになり、ある程度本人と舞台上の役を一貫的に推せるようになっています。

でも宝塚って基本的に舞台上では全員が"陽"側、少なくとも最終到達点はデカイ羽を背負った"陽"側で、落ち着いたお芝居に惹かれてもそれはその公演だけのものなんですよね。演者と役が密接すぎるジャンルを推してる私にとってはご贔屓を探す難易度が高いです。

 

当分は宝塚の舞台が全体的にぼんやり好きという観劇スタイルになる気がします。

そうやって観ているうちに運命の瞬間が来て、誰かに夢中になることがあったらいいな。

 

テニミュお披露目会っていいな

 テニミュ4thシーズンのお披露目会、TSC先行もテニモ先行も昼夜共に落選してしまい沈んでいましたがやっと後日配信で見れました。

 

私は人の話をおとなしく聞くことがあまりにもできないので基本的にトークイベント系の現場は行かないのですが、それでも遠征してまでお披露目会に行こうとしていたのは、中河内さんが南次郎役として出演することが決まっていたからです。

中河内さん演じる仁王雅治は私が1年2ヶ月前にはじめてテニミュに出会ってからの最推しであり*1今もそれは変わりません。

中河内さんの仁王を推すあまり、1stの円盤を買い集めたり、中河内仁王の幻影を追い求めて中河内さんが出演するグランドミュージカルを観に行って当然まったく仁王じゃないけど兄貴肌の中河内さんもかっこいいな……と思ったりもしました*2

 

そういうわけでラケットを振る中河内さんを生で見ることは私の悲願だったのですが、実はテニミュ4thシーズンで中河内さんが南次郎役として出演することが発表された時は100%ポジティブとは言い切れない感情で混乱していました。

私は越前南次郎というキャラクターがテニスの王子様の世界の中で唯一苦手だったからです。

明確に嫌いと言える理由があるわけではないのですが、全国優勝を目指してひたむきに勝利を追い求める人間しか存在していないテニミュの舞台上にふざけたセクハラおじさんが存在しているという異質さが苦手だったんだと思います*3

中河内さんがテニミュの舞台に戻ってきてくれるのがとても嬉しい反面、強くてプライドが高くて掴みどころのない仁王のイメージが南次郎の俗っぽさに上書きされてしまうことが怖くもありました。

 

楽しみ半分怖さ半分で見始めたお披露目会の配信動画でしたが、結論から言うと中河内南次郎のことをちゃんとかっこいいと思えました。

せっかく中河内さんがテニミュに戻ってきてくれるなら初対面の女の胸部を鷲掴みにする男としてじゃなくてイケメン高校生として戻ってきてほしいと思っていたのですが、飄々としていながらも眼光が鋭い中河内さんの仁王と南次郎がダブって見えて、中河内さんが南次郎役でよかったと感じました。あと袴姿が似合っていてかっこよかった。

南次郎に対するモヤモヤがスッと無くなったのは、先日配信で観た許斐先生のひとりおてふぇす2018の影響も大きかったと思います。あれがなければ今も南次郎を受け入れられていなかったかもしれません。

おてふぇすを観て、許斐先生とVRのキャラクター達、声優さんやミュキャスさんの掛け合い、ファンの歓声からキャラクター、作者、演者、ファンの間を巡る巨大ラブのダイナミズムを感じて、このキャラクター苦手だなとか、このキャストさんちょっと解釈違い…みたいな負の感情がだいぶ消えました。宗教?

具体例を挙げると、金ちゃんと許斐先生が「先生!ワイ、コシマエともういっぺん戦いたい!」「いいよ、必ずね」って会話してるのを聞いて、創造主である許斐先生はご自身の被造物に無限の愛を注いでいるんだなぁ、その周りの演者やファンも先生の愛を間接的に浴びているよ……と思いました。やっぱり宗教?

 

テニプリのすごいところは、非実在キャラクターの背後にいる実在の作者、演者、ファンの思いを包含してテニプリの世界観が成立しているところです。

テニプリ関連楽曲の視点は驚くほど多様であり、

・キャラクターが漫画の登場人物であることを自覚しながら読者に愛を伝える曲(悲しいね…キミが近すぎて)

・ミュキャスが稽古と本番を通じ、短い間だけキャラクターを演じられることを自覚しながら卒業していく曲(THANK YOU & GOOD-BYE)

漫画原作者が読者へ感謝を伝える曲(テニプリを支えてくれてありがとう)

など通常のメディアミックス作品ではあり得ない視点の楽曲が存在しています。まず漫画家がソロライブしてるのがびっくりですが。

テニプリにおいてキャラクターの背後に存在する実在の「思い」は秘匿されるべきものではなく、むしろキャラクターの実在性を強化するものとして公にされ*4、更に2次元、2.5次元、3次元それぞれの間の壁についてもタブー視することなく「あるもの」として、時には悲しく時にはコミカルに受け入れられています。

長い歴史を持ち多彩なメディアミックスを展開するテニプリ作品では通常のメディア作品よりもずっと演者とキャラクターの関係性が密であり、演者は黒子としてではなくキャラクターと一心同体かつ対等な存在として表舞台に立っているのです*5

越前南次郎というキャラクターが好きか嫌いかと言われるとまあ微妙なのですが、越前南次郎と並走してきたこれまでの声優さん、ミュキャスさん、そしてそれを引き継ぐ中河内さんの思いを包含した存在が越前南次郎だと思うと越前南次郎っていいなという気持ちになりました。

 

本題のテニミュ4thシーズンお披露目会、中河内南次郎はちょびっとしか登場していないのでほとんど中学生達の感想になるのですが、色々羅列したいと思います。

ボケ力が高くて楽しい子達が多くみんな一人一人印象が強かったのですが、特に気になったのは伊武と手塚です。

土屋さんの伊武くんは先代の健人さんのちょっと神経質で髪のお手入れに時間かけてそうな伊武くんとは違って、ふてこくて気まぐれな感じ。

トークを聞いていると、オーディションではキャラクターの種を持った子を選ぶってこういうことなのかと納得できるくらいダウナーさを感じられて、でも嫌な暗さがないところがギリギリスポーツ漫画らしくもあって、本公演のお芝居がすごく楽しみになりました。

 

手塚は、というか山田さんはすごく不思議な人なんだなと思いました。オーディション合格を聞いた時の「ゲゲゲ」のポーズ絶対テニモンの間で流行ってほしい。

テニミュって手塚や真田のようなどう考えても歌ったり踊ったりしなさそうな厳格なキャラクターをミュージカルで表現しないといけないのでそこにどうしても面白さが生まれてしまうんですけど*6、私はその違和感を愛おしく思うし手塚役はちょっと浮世離れした人が似合うと思っています。

山田さんは新テニミュからの続投なのですが、日替わりシーンで好きな食べ物を聞かれた際に手塚の好物である「うな茶」と答えなければいけないところを、山田さん自身の好物である「いちご」と答えてしまったことがあったそうです*7

役者として良いか悪いかで言ったら「いちご」はちょっとまずい返答だったのですが、この公演の手塚が天衣無縫に目覚める時の手塚だったこともあって、厳格な手塚のキャラクターから山田さんの天然さが覗いているような面白さがありすごく好きなエピソードです。

天衣無縫でいちごが好きでゲゲゲな山田国光しかまだ知らないので、成長した山田国光が今後どのように青学を背負っていくのか、跡部戦でどういう試合を見せてくれるのか気になります。気が早い話ですが3rdの青学世代交代のタイミングは絶妙だったと思うので*84thも関氷まで11代目を続投させてほしいです。

 

お披露目会の最後には青学と不動峰で2曲披露してくれました。

個人的に最初の曲がすごく好きです。4thシーズンから主要スタッフが総入れ替えになるのがかなり不安で、3rdまでを生で観ていないからこそ円盤で憧れていた曲や演出を観てみたい思いがあったのですが、新鮮さと見たことある感のバランスが絶妙で良かったです*9

今年春の生執事でYuさんの曲のキャッチーさに聞き惚れていたのですが、このテニミュ新曲もとにかくキャッチーで、本公演で他の曲を聴けるのがすごく楽しみになりました。

振り付けはフォーメーションが斬新で、12人の青学メンバーを3人ずつ割ってダンスを構成したり3人ずつ舞台を斜めに横切りながら動くのは今までありそうでなかったので楽しかったです。

センターのリョーマの両サイドは今まで手塚と不二が鉄板で、この曲の終盤も定番の布陣なのですが、序盤ではリョーマの両サイドに桃城と海堂が立つ布陣で「立ちはだかる先輩」と歌う箇所があったり、新鮮で良いなと思いました。

私が人生で初めてテニミュを観た時に一番かっこいいと思ったのが、3rd全立後編の《最終決戦》でラケットを振りながら青学と立海の選手が交互に一人づつ舞台前方に飛び出してくるシーンでした。今振り返ると跡部のソロでもリョーマと幸村の試合のラストでもなくそこが一番!?と思うのですが当時のツイートを見返すとそこみたいです。

今回の新曲でも似た振り付けが出てくるので当時の感動を思い出しました。テニミュを何も知らない人間がテニスの試合をミュージカルにするってどういうこと?と思ってテニミュを見た時に、ラケットを振りながらキャラクター達が飛び出してくる振り付けは一番自然に感じると言うか、素直にかっこいいと感じるんだと思います。

 

この一曲だけでテニミュ初見時の思い出とか、ついにテニミュを生で観れるというワクワク感とか、いろんな感情が湧いてきました。

中河内さんが南次郎演じるのが不安だったのも、制作スタッフが入れ替わって過去曲やってくれないかもしれない不安も、その不安、消えるよ!になりました。

今月末のテニミュ大阪公演楽しみだな〜!!!

*1:私のテニミュ初見は3rd全立の配信だったが、テニミュにハマったらまずテニモンの友達にたこ焼きライス動画を見せられるのが自然な流れだ。(違法転載動画を見てはいけない)。

*2:去年11月の「ビリー・エリオット」と今年4月の「アリージャンス」

*3:オサムもふざけたギャンブルおじさんという点では異質な存在と言えるものの、全国決勝の重要なシーンに絡む南次郎と四天宝寺のガヤガヤに紛れ込むオサムでは立ち位置が全く違うのでそこまで苦手意識はない

*4:今回の配信でおてふぇすLIVE映像終了後に許斐先生も「VRだけのライブではなく、生身の人間がVRのキャラクターと会話することで偶然性が生まれ、キャラクターにリアリティが生まれる」という旨を話していた

*5:ミュキャスがキャラクターの格好の写真を個人のSNSにアップしてはいけないのは、キャラクターの私物化を避けるためであって、このこともキャラクターと演者の対等な関係を示している

*6:ドリライ2018で横アリの満員の観客を前に真顔で時候の挨拶をはじめる手塚国光が永遠に好き。

*7:私はその回を観ていないので他の方のレポで知った。私が見た日替わりの手塚はダチョウ倶楽部のジャンプ芸にワンテンポ遅れ、真顔で「遅れてしまい申し訳ありませんでした」と謝罪していた。永遠に好き。

*8:テニミュの代表作とも言える関氷公演は言わずもがな、青学内の衝突と絆に焦点を当て、なおかつ青学に黒星が付かない比嘉公演も卒業公演に相応しかった

*9:そうは言ってもドリライとかサービスナンバーでは過去曲披露してほしいです。お願いします。

トンチキの建前

先日公開されたアンジュルムの新曲、《愛されルート A or B?》のMVがかなりの好評を得ている。

これまでのアンジュルムのMVと比べても衣装や全体の配色が洗練されていて、非オタの女性が見ても魅力的なMVではないかと思った。 

www.youtube.com 都会的なセンスあふれる映像の中にも、ハロプロらしさは見え隠れする。「ライスorナン」、「スズメorハト」といった唐突な二択を示すカットが登場した時には、メンバーのお洒落さを演出しながらも絶妙にダサくていいぞ……とにんまりした。

それと同時に、出たなファッショントンチキめ、とも思った。

恋愛や人生を歌った曲に脈絡なく無関係な食べ物や動物をぶち込むのはハロプロトンチキ曲の様式美とも言える。ビスケットは色っぽいし、帰りにはうどんを食べるし、なまずにはうろこがない。

《愛されルート A or B?》で提示される二択はこうした様式美に倣い、日常的なモチーフを恋愛と結びつけることでなんとなくトンチキ的な雰囲気が醸し出されている。

しかしこの曲のMVは従来のトンチキMVと比較して遥かに洗練されており、突然ライスやハトが降ってくる映像であっても、常識的なセンスを持ったクリエイターがトンチキを自覚的に演出しようとしている印象が拭えない。

 

これは私の持論だが、トンチキというものは意図的につくられたおかしさであることをファンに悟られた瞬間に大きく魅力を失うものであると思う。《愛されルート A or B?》のMVにはゆるいおかしみというトンチキに近い魅力を感じたが、トンチキかと問われればそうではないと思った。ライスやハトは無自覚に生み出された狂気には見えないからだ。

 

私がトンチキと制作側の意図の関係性について考えはじめたのは、BEYOOOOONDSの《こんなハズジャナカッター!》の発表がきっかけだった。この曲を聴いた瞬間、私はハロプロのトンチキの歴史が崩れたように感じた。

この曲はアイドルでありながら「キテレツな存在」として邁進するBEYOOOOONDSが自らの活動をメタ的に歌った曲である。過去のリリース曲を「この目を疑うヘンな歌詞」と自虐的に歌うこの曲は、過去のトンチキ曲に対するオタクの視線を大きく変えるものとなった。

トンチキは面白さを狙って作られたものに宿るのではなく、制作側や演者が本気で良いものを追求した結果世間の感覚とズレてしまったものに宿るのだと私は思っている。(参照)

gekidasadance.hatenablog.com

 これまでハロプロが積み重ねてきた数々のトンデモ歌詞やすごい衣装は一般的なかっこよさの感覚からは乖離していた。しかし、もしかしたらこの事務所は本気でこれをかっこいいと思ってるのかもしれないという0.1%の疑惑にトンチキは宿っていたのである。

《こんなハズジャナカッター!》という曲はBEYOOOOONDSがこれまでリリースしてきた曲の面白さやズレを認めてしまったことによって、今までハロプロが守ってきたその0.1%の可能性を潰してしまった。

事務所のセンスは狂ってるけど、どんなにヤバい曲を渡されても全力でパフォーマンスする推しは輝いてるな……とオタクが思っていたところに「あれは意図的にウケを狙ってつくられてるし歌ってる本人も変だと思ってるんですよ」と暴露しまうのはあまりにも興ざめに感じる(ただし、この暴露は作詞者によって示されたものであり、実際のメンバーの心情と同一視はできない)。

実際BEYOOOOONDSのメンバーがウケ狙いを自覚しつつ曲中で寸劇や卓球や筋トレを披露してくれていることくらい頭ではわかっていたが、もしかしたら心の底から真剣に卓球のラケットを握っているんじゃないかという希望を抱いていたかった。アイドルは恋愛をしたことがないんじゃないか、ミッキーマウスの中身に人間は入っていないんじゃないかという類の0.1%の望みである。

 

ヒャダインをはじめとした音楽関係者がトンチキの正体について言及し、Mステでジャニーズトンチキ曲特集が組まれた昨年末を境に、世間のトンチキへの注目度が高まった。言い方を変えれば、オタクがトンチキ曲に喜んでいるということが制作側にバレてしまった。

トンチキの整理が進んだおかげで、責任の所在が不明だったわけのわからないセンスを《こんなハズジャナカッター!》のようにメタ的に扱ったり、《愛されルート A or B?》のように模倣しようとしたりする動きも生まれた。

オタクにウケるものを作ろうとするのは芸能がビジネスである以上当然のことだが、トンチキは①演者が自覚した時点で死んでしまうものであり、②模倣が困難なものであることはいまいち理解されていないように思う。

 

①トンチキは演者が自覚した時点で死ぬ

 多くの場合、トンチキは歌う側、演じる側が「大人」に管理された若手の演者でなければ成立しない。トンチキと評されるグループやコンテンツとして私は主にハロプロ、ジャニーズ、テニミュ宝塚歌劇等を観測しているが、これらはいずれもセルフプロデュースによるものではなく、アイドルや若手の舞台俳優・女優がプロデューサーの意向に従ってパフォーマンスを行っている。

トンチキのキモである「歌詞や衣装のセンスが常軌を逸しているのに舞台上の人間は真剣そのものであるというギャップに言語化しがたい活力を与えられる」という感覚は、演者の「変な歌詞・衣装をあてがわれている感」によって支えられている。改めて書くと、少年少女が変な恰好をさせられているのをエンタメとして享受してしまい大変申し訳ございませんという気持ちになるが、トンチキが大人に管理された若手の演者のひたむきさや純粋さに宿っていることは否定できない。

トンチキ曲を渡された演者は当然戸惑いを抱くだろう。しかしトンチキ曲はつんく♂ジャニー喜多川をはじめとするカリスマがウケを狙わず真剣に作ったものという建前のもと、演者はトンチキを自覚しないフリをして全力で歌い、踊ってくれていた。

 トンチキにはこうした一方通行の構図が存在するために、BEYOOOOONDSが大人によってトンチキ曲を与えられたにもかかわらず、大人によって「思ってたのとチガッター!「けど!」逆にこれでヨカッター!」と歌わされることに私は強烈な違和感を覚える。

 

 ②トンチキは模倣が困難である

つんく♂ジャニー喜多川のような奇才が若い演者に曲を与えることによってトンチキが成り立っているということは、トンチキの模倣と継承が困難であることも意味している。

トンチキコンテンツの例として先述したハロプロ、ジャニーズ、テニミュはある程度定まったプロデューサーのもと、演者だけが世代交代を繰り返す性質を持つ。(宝塚歌劇は脚本・演出において圧倒的な権力を持つ人物がいないにもかかわらずトンチキ的な伝統を継承できている稀有な例だと思う)。

トンチキとよばれるコンテンツはある程度歴史のあるものが多い。歴史あるコンテンツには安定したファンが付いており、子供の思い付きのような奔放な歌詞や素人が作ったような様子のおかしい衣装が登場しても、通好みの面白さとして受け入れられてしまうからだろう。

しかし歴史あるコンテンツをプロデュースする奇才は永続的にトンチキを生み出せるわけではないつんく♂は2014年にハロプロのプロデューサーを降り、ジャニー喜多川は一昨年に逝去し、テニミュの脚本・演出・作詞等を手掛けた制作陣は今年からほぼ入れ替えとなる。

様式は模倣によって継承され、特定のプロデューサーがいなくとも様式を保てるようになった時、エンタメは一つの文化として確立される(例えば宝塚歌劇のように)。トンチキは「突然地球が登場する」、「デザインの色数やモチーフが無駄に多い」などの様式美で説明できるように見えるが、それらはトンチキの要素ではあっても本質ではない。そのため、トンチキは模倣が困難なのである。トンチキ曲を歌う側に求められる素質はひたむきさや純粋さといったある意味凡庸な美徳だが、トンチキ曲を作る側に求められるのは常軌を逸した感覚のみである。トンチキは真似ようとして作れるものではない。

 

トンチキにはぶっ飛んだプロデューサーが真剣につくったものを演者が真剣に受け止めた結果こうなってしまいましたという建前がある。意図的にふざけたのではなく、「なってしまった」のだ。そのためトンチキが流行し、自覚され、模倣された時、トンチキは既に本来の形を失いつつある

 

私たちは真剣ですが?という顔でいつまでも健やかに様子がおかしくあれ。事務所のセンスのヤバさにキレているオタクはいつでも内心大喜びしているのだから。

 

氷帝vs立海 Game of Future

オタクの皆さんは公開前に氷立のオーダーを妄想してたと思います。

私が予想してたのは、以下の3点。

①ラスボス校立海とラスボス幸村の格を落とさないために、S2に来るであろう跡部vs幸村は幸村が勝つし最終的に勝つのは立海

②関氷、全氷、同士討ちと3回連続で負け試合が描かれた向日と日吉はこれ以上格を落とさないために今回は流石に勝つ

③S1は次期部長の日吉vs赤也

 

どう考えてもこの3点が矛盾するのでずっと頭を抱えていた。S2で日吉が赤也に勝って、S1で幸村が赤也に「これが最後の指導だよ」みたいなことを言って跡部を倒す展開もちょっと想像してた。

 

若くんは見事に負けた。

 

だが、これだけ連敗してもちゃんとキャラとしての魅力と「格」を保っている日吉の描かれ方に制作の方の愛を感じたし、日吉のことがますます好きになった。

 

テニプリという膨大なキャラクターと長い歴史を抱える作品はキャラの「格」がすごく大切にされている。日本の中学生では主人公であり王子様であるリョーマの強さが絶対的で、そのリョーマに高架下のコートで勝った手塚も最強格、それに続くのがラスボスである神の子幸村、その一歩後にキングの跡部と皇帝の真田が続いて、ここまでの5人が互いに対戦する試合は絶対ギャグにならないという神聖なラインが存在している(肩書きも神聖な感じがする)。

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これまでの勝敗を非公式戦含めて表にしてみると、今回幸村が跡部に勝ったのはなるべくしてなった結末であり、5人のパワーバランスがうまく保たれていることがわかる(跡部vs真田の試合は幸村の手によって強制終了されたので勝敗不明)。

全員が「俺が間違いなく世界で一番強い」みたいなプライドの高さを見せつけてくるので一敗でもしたらキャラがぶれそうなところだが、テニプリでは彼らの勝敗を逆に利用して、全員に「あの〇〇を倒した強キャラ」という設定が付与されている。

今回の跡部vs幸村の試合結果は「あの幸村をタイブレークにまで追い詰めた跡部はすごい」、「あの跡部に勝った幸村はすごい」という印象が強く残ったので、流石この二人の試合はどう転んでもアツいと思った。

 

勝つことでキャラ設定が強化される5人とは対照的に、205号室の2年生4人(赤也、日吉、海堂、財前)は負ければ負けるほど可能性の塊としてのキャラ設定が強化される気がする。今回日吉が作中で4連敗しても、つらいのはもちろんつらかったけど、そこまでの驚きもなく受け入れてしまった。

 

私は今まで日吉を二推しとして応援してきたが*1、彼の演舞テニスについては正直なにが凄いのか全然わかっていなかった。セッカチコンビはテニスに他競技持ち込んで体力浪費して負けてて意味わからんけど可愛い!!って思ってた。

でも今回の氷立で、向日が試合中に高く跳ぶ意味も日吉がテニスに武道を取り入れる意味も具体的にわかり、納得がいった。

 

日吉の演舞テニスが相手の攻撃を受け流すためのものでもあることが描写できたのは対戦相手が赤也だったからこそだと思うし、赤也の攻撃を軽くいなす若くんは強くてかっこいいと思った。

日吉と赤也は本来青学という主人公サイドに対しての悪役であったはずなのに、赤也に対し渾身の新技をぶつける日吉も、それを返そうと悔しがりながら必死で向き合う赤也も、この瞬間確かに主人公で、テニプリの最高なところはキャラ一人一人に主人公らしい可能性と光を与えているところなのだと改めて感じた。

 

新技の四神演舞は未完成だったけど、四神のうちまだ白虎しか出てないのも彼の未来を感じさせるし、日吉は負ければ負けるほど無限の可能性を見せてくれる。

全国大会初戦で当たった椿川の三浦(誰?)に6-0で勝った試合が一切描写されず、リョーマに負け、乾と海堂に負け、跡部に負け、赤也に負ける試合はしっかり描写されてしまっても日吉よわっ…ってならないのが日吉の凄さである。

日吉が負けるたびに日吉の下剋上が楽しみになるし、ずっと応援していたいと思える。

 

先日発売された氷帝ファンブックで、リョーマに負けた日吉の涙の理由はただ自分のせいで氷帝の敗退が決まったという自責だけではなく、1年生をナメて試合に挑んだ自分に対する情けなさに顔をあげることができなかったことにあるということが許斐先生によって明言され(p.109)、日吉へのラブがめちゃくちゃ高まった。

 

氷帝vs立海で赤也に負けた後、跡部の励ましもあって涙を堪えた日吉は、世界大会選抜メンバーである赤也という格上に対し果敢に挑んだ日吉であって、氷帝の新部長としての責任を持って戦った日吉であって、関氷で年下のリョーマに舐めてかかって負けたり全氷で忍足の試合を小馬鹿にして負けたりした日吉ではないのである。テニプリという作品は敗北に意味を持たせる描写がとにかく上手い。

 

後編の話ばっかりしたけど、前編もすごく良かった。

D2は、どーせ玉川の中身は仁王なんやろ?という思い込みを持って観戦してたのでブン太と玉川がシリアスなやりとり始めたあたりでアレ?ってなってどんどん良い話になってきたので全然イリュージョンした仁王じゃないじゃんガチの先輩後輩の絆じゃんって気づいて泣いた。思い込みって怖い。

氷帝サイドの物語も感動的で、忍足と岳人の回想シーンで「誰にも見えない糸来るぞ!ここから糸流れる!」って思ったら全然誰にも見えない糸流れてこなくて泣いた。そういえばこれテニミュじゃない。

最後に忍足が腕をクロスして岳人を高く跳ばせるシーンは忍足のポーズが意味不明すぎて吐くほど笑った。

 

D1とS3は宍戸と鳳の絆がアツくて良かった。忍足向日ペアや真田柳ペアが3年間の集大成を出す試合という感じだったので、余計にペアを解消してもなお強い絆で結ばれてる2人の悲しさと強さみたいなものが際立った。

 

全体通してこれが見たかった!という試合もあり、予想外な試合もあり、ずっとワクワクしながら観ていた。

作画も綺麗だったし(特にS2の幸村と跡部はまつ毛の一本一本まで綺麗で何回も一時停止した)、試合を盛り上げる音楽の使い方も上手かったし、5試合あるのに緊迫感が途切れず展開に中だるみが無いし、最初から最後まで名試合で名作。

 

 日吉は下剋上を目指すキャラ設定が強くなりすぎて、こうして敗北を重ねる程に日吉の初勝利への期待値が上がってしまい、生半可な相手に勝たせるわけにもいかなくなったので今後の展開で日吉の勝利を見るのは簡単じゃないかもしれない。

それでも日吉の向上心や簡単には弱みを見せないプライドの高さが好きだ。

負けるたびに涙を流しそうになるという意外に冷静沈着でも常に前向きでもない一面があるところも好きだ*2

 

氷帝vs立海 Game of Future、若くんの魅力と可能性が溢れて爆発してました。観れてよかった。

これからも若くんの下剋上をずっと応援したい。

*1:最推しの柳さんは今回真田の黒色のオーラに隠れて試合をする意味不戦法で勝利を収めていて笑った。当たり前にオーラが目視できる世界観、なんなん

*2:テニプリのキャラって中学生なのに全体的に負けた時の態度があっさりしすぎてて怖い。自分のせいでチームの敗退決まったら普通青ざめて泣くでしょ